日本長期急性期病床(LTAC)研究会 第7回研究大会 開催報告
【シンポジウム2 】
「若手経営者が語るLTAC(地域包括ケア)的病院経営 」
座長・演者:高橋 泰(第7回研究大会 大会長)
座長:仲井培雄(芳珠記念病院 理事長)
演者:①地域包括ケア ~医療の入り口と出口を守る~
白石吉彦(隠岐島前病院 院長)
②認知症に強い地域共生型病院経営
田中志子(内田病院 理事長)
③病院が地方創生をする意義
江角悠太(国民健康保険志摩市民病院 院長)
④生きる力を引き出し、繋げる、拡がる
室谷ゆかり(アルペンリハビリテーション病院 理事長)
⑤福岡県の医療連携の状況 ICTの活用
原 祐一(原土井病院 副理事長)
〇高橋:午後の部を始めたいと思います。午前は地域医療構想の話でした。日本には調整能力がないという、素晴らしい結論が出ました。ごもっとも、おっしゃるとおりです。
午後のキーワードは「地域」「実践」です。スピーカーは若手病院経営者の会を私が開催しているのですが、田中先生です。
それから、今回は仲井先生の一押しと、私の一押しということで、あまりこういう会には参加されたことのない2名をお呼びしています。トップバッターの白石先生です。全国334ある2次医療圏を全部回って、一番印象的だったのが白石先生です。
仲井先生の一押しは江角先生です。昨日、12時ごろまでお話を伺っていましたが、世界平和を唱えられていて、こういうスケールの大きなお医者さんが日本にいたのかと非常に感動しました。
午後のほうはぜひ、実際、地域にはどれくらいの差があるのか、各論的なところのソリューション、答えとして、地域をどうつくるか、新しい発想をつかんでいただければと思います。仲井先生と一緒に、これからシンポジウムを始めたいと思います。仲井先生、よろしくお願いします。
〇仲井:皆さん、こんにちは。それではシンポジウムを始めさせていただきます。各演者の紹介は、この冊子に全部書いてありますので、それをご覧ください。
地域包括ケアシステムから、どうやって地域医療構想につなげるかを最後に話されると思いますが、まずは目の前の地域包括ケアをされている皆さんの話を聞きたいと思います。
①地域包括ケア ~医療の入り口と出口を守る~
トップバッターは、隠岐広域連合立隠岐島前病院院長の白石吉彦先生です。よろしくお願いいたします。
〇白石:ご紹介ありがとうございます。早速お話を始めたいと思います。隠岐に行ったことがある方は?
ゼロではないことに驚きました。日本海の島で、島根半島の沖合に浮かんでいます。北側から見ると、このような地図になり、島前、島後の2つの群島に分かれています。ここに中国地方、九州、四国、関西があります。
島後は出雲空港から30分、伊丹空港から45分、1日1便、飛行機が飛んでおり、本土の毒が入ってきます。島前は飛行機がないため、七類港、境港からの船のみになります。古き良き日本の医療の、医師・患者関係がありますが、もしかしたら、それが新しい医師・患者関係でもあるべきかもしれないと思っています。
ちなみに、この地図は、隠岐が2016年に世界ジオパークに認定されたときに、北海道地図株式会社がつくってくれました。
島前・島後に分かれていると言いましたが、島後には115床の病院がありますが、島前の病院はこれだけです。開業医もなく、無床の国保診療所が3つと、うちの病院だけです。島前の人口は6,000人、高齢化率は43%です。うちの病院は一般病床20、療養型24床、現在は、一般病床のうち8床を地域包括ケア病床に転換して運用しています。
人口はもちろん減っており、後期高齢者も減り始めています。医療福祉については、島が分かれると生活ベースの話は変わってきます。入院ベースの話になると、対象人口は6,000人ですが、地域包括、福祉、介護の対象者については3,000人弱になります。
救急車1台、病院が1つですから、救急車は100%うちに来ますが、1年間に時間外が1,200件くらいですので、1晩当直しても、2~3人来るかどうかです。コンビニができましたが、8時には閉まり、夜はみんなが寝ているため、本当の救急か精神患者くらいしか来ません。救急車は1年間に152件来ます。
救急隊と病院の関係をつくるため、BLSやICLS、JPTECのワークショップを救急隊と一緒に行っています。救急車で来たときに、うちの病院でどうにもならないときは本土にお願いします。2010年に腹部外科医が撤退し、外科手術はうちの病院ではやめた関係もあり、ヘリでの搬送は消化器外科のケース、手術適用があるかもしれないケースが一番多く、その次は狭心症系、心筋梗塞です。
それから、くも膜下出血、脳挫傷のような脳外科、あとはもろもろです。大体1年間に25件、ヘリで送っています。ヘリで送らずに済むものは、うちの病院で診ていますが、外来が1日120人弱、2018年のデータでは、一般病床、療養病床合わせて86.6%の病床稼働率でした。
実際、今は総合診療医が常勤7名、外来は生活習慣病や風邪ひき、腹痛といった急性期と小児です。小児科も2008年に撤退し、それからは総合診療医が小児系の仕事もしています。肩こり、腰痛、五十肩といった運動器も診ています。
入院に関しては、小さな1.5次救急程度の病院ですので、以前は肺炎、心不全、胆嚢炎を診ていた気がしますが、最近は誤嚥もあります。また、大腿骨頸部骨折・転子部骨折の術後リハに2カ月ちょっとかかります。そして、常に圧迫骨折の人が2~3人、入院しています。20年くらいで随分、変わってきた気がします。
MRIはうちの地域にはありませんが、全ての外来診察室に、いいエコーを置いています。常勤7名で、エコーは16台あります。ポケットエコーも7台あり、訪問看護師も持っていって、膀胱やIVCは当然、測らせています。リハ室にもエコーが2台置いてあります。エコーのボタンを押すと静止画はもちろん、動画も無線でPACSに飛び、院内のどの電子カルテの端末でも見られる環境にしてあり、静止画は私のスマホにも飛んできて、若手医師の教育上、非常にいいです。自分でよく分からなくても、動画を撮っておくことで、フィードバックをすることができます。サーバにお金は少し余分にかかりますが、非常にいい環境だと思います。
私が21年前に行ったとき、隠岐には学生はもちろんほとんど来ないですし、研修医の制度もありませんでした。医者が見向きもしなかった地域、自治医大の卒業生が派遣される地区の中でも、島根県で最も行きたくない場所で、そこに1年行けば、次はどこでも行かせてもらえるという場所でした。
私が本も書き、雑誌に投稿し、発信を続けるうちに、現在はこれだけの数です。初期研修に年に17人来るのは、よくありますが、専攻医という5年目、6年目の医者も、募集をしなくても4名来ます。これは2018年ですが、2019年も、1年を通して後期研修医がいて、来年も後期研修医の1枠が3月まで埋まっています。
もともと6人いたら、うちの病院は回るのですが、常勤が7人いて、さらに初期が2人と後期が1人、10人医者がいて44床なので、結構楽勝です。島根県立中央病院に、去年は医師派遣をしました。(拍手)
リハビリテーション科と総合診療科に医者はいるけれども、夏休みが取れないというので、派遣しようかということになりました。
また、島根県の西部、山口県との県境に津和野共存病院という49床の病院があります。ベテラン医師4人で、なんとか回っていましたが、2人が病気で倒れました。通常は、派遣元の島根大学が緊急でサポートに入るのですが、送れないということで、しょうがないので、うちから3週間、医師を送りました。私も1週間、行きました。
今年度は、隣の隠岐病院という、115床の病院で、女医さんが産休育休に入ります。島根県立中央病院から総合診療科の医師を送るということですが、どう考えても代診にならないので、うちから2カ月、送る予定にしております。
倍率ゼロ倍だったところが、今は医師が回ってくるようになました。その理由の1つは、本当に手の動く総合診療ができるからだと思います。例えば、胃カメラ、大腸カメラができて、心エコーができて、肺炎が診れて、心不全が診れて、子どもが診れる、運動器も診れる医師を養成しながら、在宅との連携もできます。医師だけではなく訪問看護、薬剤師、栄養士を含め、家に訪問もできます。
連携のときに顔を合わせることで、医師、リハ、地域のケアマネが病院に集まって、話をしています。医師が偉くない、患者さんの情報を持っている、患者さんの代弁ができる人が一番偉いという法則で、月に2回、定期的に院内で話し合いを持っています。先ほど言いましたが、3,000人の対象人口であると、全員で全体の話が共有ができます。そういった中で、家と病院が非常に敷居低く出入りできるようにしています。こちらの動画をご覧ください。
こんな感じで楽しくやっています。老人ホームは、社会福祉法人の養護老人ホームと特別養護老人ホームが50床ずつありますが、開業医がいないため、自分たちが嘱託医をしており、スムーズに行き来をしています。
これは、うちで書いている死亡診断書です。20年、総数はそれほど変わっていません。割合からすると、病院が6割、施設、自宅が15~16%です。現在は実は病院で亡くなる方の診断書数が減っています。
自宅で亡くなる数は変わっておらず、施設で亡くなる方の数が増えています。なぜ施設で看取れないのかといいますと、看取った経験がないことが、一番の不安であるからです。経験があれば、そこで10年を過ごしたお年寄りにとっては、そこがおうちなので、そこで看取ってあげましょうということになります。
先ほどのものは、公的機関が出したデータですが、いろいろな質問をしながら、うちの島ではどうかを調べました。実は、19床から44床に病院が大きくなったときに、少し病院で亡くなる方が増えました。
今、どこの地方の病院でもそうだと思いますが、急性期の病院に老人ホームから誤嚥性肺炎の患者さんがやってきて、誤嚥性肺炎を治したら褥瘡ができ、尿路感染を繰り返し、出ていく先がなくなります。それを本人たちが望んでいるかどうかを考えながら、老人ホームで、要らないことはせず、本人らしく穏やかに看取り、みんながハッピーになるような取り組みをしました。
救急という医療の入り口があり、介護、生活に戻る医療の出口があります。医療の中身に関しては、できることもできないこともありますが、できないことばかりです。来たものを全部診て、必要なものはヘリで送り、できることはします。
治療が終わった後、ソフトランディングで福祉、生活に戻すことに注力しつつ、できればそうならないようにしようと言いながら、保健師さんたちと予防活動をしています。これが、私が島で21年行っている地域包括ケアです。
当然、潜って魚も取ります。環境に優しく、乗り物は電気自動車とヨットですし、畑ももちろん、やります。畑をやるときには、横でニホンミツバチを飼います。今年は4.5キロ、はちみつが取れました。ハチが受粉してくれるので、畑の結実もよくなります。名犬ジュリーも4歳になりました。私がしつけています。私が鉄砲で落としたカモを、泳いで持ってかえってきます。最初に持ってかえってきたときは、子どもが中学受験に合格したよりもうれしかったです。
今日、皆さんは日本の医療の仕組みを真摯に考えられていて、非常に感銘を受けましたが、私自身は、こういう仲間たちと、どちらかというと生活を楽しみながら、職人としての医師でありたいと思っています。
これはうちの病院の電子カルテに書いてあります、院長からの伝言です。先ほどから言われていますが、とにかくへき地・離島は診療所であれ、病院であれ、医療を継続して提供すること自体が困難なところです。
継続的な提供が、第一のミッションだと思っています。できれば住民、病院職員がここで住んでよかった、働いてよかったと思えるかたちにしたいですが、私が楽しめるかどうかが一番大事じゃないかと思いながら、21年やっています。ありがとうございました。
〇仲井:さっき拍手が起きた、県中に医師を派遣したところに一番興味があると思います。もう少し具体的に、どうやったら後期研修も含めて、研修医が集まってくるかを教えてください。
〇白石:制度としては、総合診療が非常に混とんとしているように見えますが、実際、地域で50床、100床の病院でやってきたことは30年前も変わらないし、おそらく30年後も変わらないんですね。
よくある疾患を、きちんと自分で診られるかどうかをきちんと発信すると、都会で臨床推論であったり、ファミリーツリーがどうのこうのとやるよりも、出ている血を止めろと、疑問を感じている医師はいます。しかも、総合診療医が運動器も診られるところに期待して、来てくれている気がします。
ナースもそうですが、学生をどれだけ受け入れるかです。学生を受け入れることに、要するに教育に情熱を失えば、もうないと。学生が来れば、うっとおしく、外来も長引き、時間がかかります。
しかし、それが必要なことだということを文化として植え付けると、その中から何割かが研修医で、研修医が後期研修で来るような気がしています。
〇仲井:ありがとうございます。
〇高橋:どなたか、質問はありますか。本当に型破りな先生、どうもありがとうございました。
②認知症に強い地域共生型病院経営
〇仲井:この話を聞いたあとでは、田中先生の型破りも普通に見えてしまいます。今度は群馬の内田病院の理事長をされています田中志子先生です。認知症ケアの第一人者です。この前、クローズアップ現代に2回続けて出ていました。最近は温泉も掘り始めました。医療と介護と福祉と、いろいろ全部、面白いです。では、よろしくお願いいたします。
〇田中:群馬県沼田市から参りました内田病院の田中と申します。白石先生のあとで、大した話ではないと思いますけれども、過疎地で「どうすれば地域の医療機関として存続できるか」と日々色々な可能性を考えながら、当院の経営をしております。沼田市と同じくらいの人口のところが生き残れる、1つのヒントになったらいいと思って本日お話をさせていただきます。
初めに、群馬県沼田市について紹介いたします。沼田市は周辺が尾瀬国立公園、谷川岳、赤城山に囲まれており、大変風光明媚ですてきな土地です。名物は、勇壮な女みこしである天狗みこしと、あまり知られていませんが、リンゴの名産地です。
沼田市の概要について説明いたします。沼田市は人口が4万8,000人です。群馬県下の12市の中で最少の人口で、なおかつ面積は非常に広い地域です。二次保健医療圏は、沼田市に周辺の利根郡町村を加えた利根沼田地域になります。沼田市と利根郡の人口を合わせても8万人くらいで、開業医の先生方の平均年齢は65歳という、非常に高齢化している地域です。
盆地で山に囲まれているため、患者の流出入がほとんどないことが医療人口の特徴です。過疎地ですので、当然、人口はどんどん減っていまして、なおかつ高齢化率は上がっているところにありながら、私たちのグループはおかげさまで、今、スタッフの数が非常に増えています。頑張っているのが、シニア雇用と障害者の一般雇用です。これから私たちの活動をお話ししますが、最近では県外からの入職者も大変増えているグループです。
このスライドの真ん中にあるのが、もともと建っていた病院です。午前中、医療と介護の言語が共通化されていないというお話がありましたが、私たちの施設は、下が病院、上が老健です。初代理事長である父が、土地がないためにそういった造りにしたおかげで、患者さんも職員も同じ建物内で移動することで、医療も介護も同じフィールドで活動を続けてきました。
病院の周辺に、認知症グループホーム、有料老人ホーム、特養、サ高住、のちほどお話しします地域共生型の複合施設をつくり、午前中の石川賀代先生のところは施設間の移動に少し距離がありましたが、私たちのところは徒歩圏内にグループの全てが整っています。ここを医療、介護、福祉のベースキャンプにしようと、つくってきた経緯があります。
私たちが、職員教育においても大事にしているのが理念です。この理念の下で活動を自分たちがしていくことを、常に職員に徹底しております。例えば、学会発表をするときに、理念の中のどの部分の話をしているか、全部、明示してから発表させています。
今日は地域包括ケアシステムの中での生き残りというテーマかと考えましたので、厚労省のよくあるスライドを持ってまいりました。この地域包括ケアシステムの中で、私たち医療機関や介護施設が担うべき役割は何なのかを考えると、地域における医療・介護の関係機関が連携し、包括的かつ継続的な在宅医療・介護を提供し、高齢者個人に対する支援の充実と、それを支える社会基盤の整備を同時に進めること、高齢者が社会的役割を持つことで生きがいや介護予防にもつなげるような取り組みが求められているのではないでしょうか。
つまり、私たち医療機関や介護施設は、必要な際の医療・介護サービスの提供だけではなく、自助や互助の観点から、地域住民に働きかけ、相互に関わる機会を確保し、孤立や重度化を防ぐためのセーフティーネットの役割を担わなければならないのではないか。特に過疎地域では、そうした役割が重要と考え、私たちのグループは活動しています。
そこで、厚労省の地域包括ケアシステムのイラストを、私たちのグループの品目に置き換えてみました。このように、医療、介護、生活支援、介護予防というかたちで、私たちのサービスが全て中に入ることが分かりました。1つずつ、ご紹介していきます。
例えば医療です。私たちがやっている地域包括ケアシステムの中の医療は何かというと、一番は、先ほどご紹介いただきました、私たちの病院はケアミックスでありながら、全く身体拘束をしていないところです。ミトンもありません。つなぎ服も4本柵もありません。NHKの「クローズアップ現代+」に出演させていただき、その議論の中で、急性期はできないという話がありましたが、私たちの病院も高齢者の肺炎の急性期の治療はしますし、人工呼吸器を着けている方もいらっしゃいます。なおかつ、認知症で動かれる方、歩かれる方が多く、認知症自立度の3以上、つまり昼夜を問わず面倒を見なければならない方が、病棟の8割を超える病院になっています。
なぜ私たちは身体拘束をせずに診ていけるのかというと、パーソン・センタード・ケアという考え方を徹底しています。患者さんのことを、とにかく考えていきます。
脳活性リハ5原則というものがあります。これは、もともと私たちがやっていたことですが、①快刺激、②褒める、③コミュニケーションを取る、④役割を持っていただく、⑤失敗をしないような働きかけをしていくことを合わせ技で行いつつ、なおかつ薬を使わないで活動性や自立度を上げることにより、患者さんは縛られず、自由に動けますので、BPSDが減っていきます。
私たちは非常に楽な看護・介護をし、患者さんたちは適切な退院・退所をしていくという結果を、私たちの経験の中で出すことができています。当然、ユマニチュードが輸入される前、開発される20年ぐらい前から、私たちはこれを経験的にどんどん培ってきたわけです。
この症例が、クローズアップ現代+に出た方です。前医にいたときにはパーキンソンで不穏になって、薬漬け、なおかつ身体拘束をされて、本当にこういった廃用の状況で入院されてきました。経鼻胃管からは15種類の薬が入っていましたけれども、私たちは、この薬を減量し、できるだけリハビリをしていきました。結果、4年後、こういうかたちで経口摂取をし、自立度も大きく改善しました。外泊もできるようになりました。
では、具体的にどのようにしているのでしょうか。今までは、縛ってはいけないという理想論だけが独り歩きすることが多かったのですが、やはり理想論と方法論はセットでなければなりません。自分で車椅子の足こぎをしながら移動する方にも、点滴台をセットして、一緒に動けるようにしてあげれば、何も縛っておくことはありません。あるいは、点滴をしている間に、何かほかのことに興味があれば、必ずしもミトンは必要ありません。こういうことを具現化するようになりました。
AMEDで、私たちは本当に身体拘束をしないためにエビデンスが出せるのか、3年研究をしました。まず1年目、私たちがしていることは何なのか見える化しました。2年目は、私たちがしていることの改善データに基づいて、方法論を出しました。これが2年目の成果で、どんなことをしたら縛らないで看護・介護ができるのか、全て具体化、フローチャートで作っています。3年目の今年は、これをほかの病院に持ち込んだときに、本当にその病院でも身体拘束が減るのか研究をしているところです。
こちらは1年目のデータです。入院をしたときに、本当に認知症の患者さんが改善するかということですが、入院前後1週間で、NPI-Qという行動障害の介護負担度と重症度を見ています。長谷川式がこれだけ重度であるにもかかわらず、きれいに改善しているデータが出せました。
そして、身体拘束がなかなか回避できない病院に一番お伝えしたいのは、手のかかり具合は確かにありますが、肌感覚として、1週間から10日ぐらいがすごく大変だと思っていましたが、データでもちゃんと出たということです。タイムスタディーをしたところ、最初の週の大変さが、4週目になると半分くらいになるというデータが出せました。今後は身体拘束をしないための理想論プラス方法論のセットで、病院に発信をしていかなければならないと考えています。
次に、地域包括ケアシステムのイラストの介護の部分です。私たちがやっている介護は、おそらく先生方が考えられている介護とは違います。就労的な活動など、今までできていたことをどんどん介護施設で行っています。
また、他者との交流や、他者の役に立つことをしていただきます。これはおむつを包むための新聞紙を患者さんに畳んでいただいている院内デイの様子です。こういったかたちで、役割を持つ、生活者としての時間を持つ介護をしています。そうすると、交流から生まれる会話、私は話し相手になっているという役割を、重度の認知症の方であっても持つことができます。
これも、病院の中の院内デイの様子です。この人たちは、前の病院では肺炎のために縛られていましたが、このように関わりができると、縛られる必要は全くないことがご覧いただけると思います。
次に、イラストの中の生活支援、介護予防を見ていきます。幾つものデータがありますが、当然のことながら、生きがいがあることで健康長寿が出てくることが分かります。生きがいは生活場面でしかないわけではなく、私たちは病院の段階から生きがいをつくっています。例えば、寄付をしていただいた衣類の中から、重度の認知症であろうが、この方は気管切開もしているかと思いますが、レンタルの衣裳を作って、自分で選んでいただきます。あるいは、酸素をしていてもできることがあります。看護師さんは1対1でなければ患者さんが看られませんとよく言いますが、1対1である必要は全くありません。こういうかたちでケアをしていきます。
入院であろうが施設であろうが、できることはたくさんあり、発想の転換が必要です。入院生活の中でも、ビアガーデンも行っています。オレンジのユニフォームを着ているのはリハビリスタッフですが、リハビリをしながら患者さんをよくしていきます。こういう時間を持っていくことで、昼間、起きているので夜は寝てくれます。これが、身体拘束の回避につながっていく介護になります。
さらに、退院後に居場所がなければなりません。退院したあとは、トレーニングセンターで交流をする、あるいは軽度認知障害の患者さんが認知症の方に趣味を教えることを、どんどん行っていきます。
次に沼田市は農村地帯ですので、患者さんがかつてされていた農業を介護予防や介護に活用しています。もともと農業をしていない方も、農業を利用し、リハビリにしっかり通えるようになっています。
続きまして、現在の厚労省の地域包括ケアシステムのイラストの中に少し欠けているところです。それは、少子高齢化対策や、共生型のところです。私たちは地域包括ケアシステムの中には、障害児・者も入らなければいけないと考えていますので、それについてお話しします。
ここで、もう1つの軸を考えたいと思います。厚生労働省では、「まち・ひと・しごとづくり」を行っています。この「まち・ひと・しごとづくり」の観点から、イラストをつくりました。
最初に「ひと」の部分についてです。先ほど言いました地域共生型というところで、この建物の中に保育園と共生型のデイサービス、学童クラブ、障害のある子の施設が同居しています。今日は時間の都合でムービーをお出しできませんが、子どもが遊ぶところで高齢者が集います。この週末も運動会があったのですが、運動会の花飾りはお年寄りが作り、かけっこをした子どもがお年寄りのところに行きました。
沼田市でも障害の子たちが非常に増えています。先生たちはご存じないかもしれませんが、沼田市は生まれる子どもの数が300人を下回っていますが、特別支援学級に入る子どもの数が1割ぐらいになってきています。どの子も情緒障害、知的障害があり、大変な状況になっている中で、受け皿が非常に少ないです。私たちは医療がありますので、小児リハビリも含めて、いろいろな障害のある子の受け皿になる活動をどんどん行っています。
私たちの保育園は、保育園の中で混合保育ができます。健常の子と障害の子が一緒に保育の時間を持つ。あるいは、今日は健常のクラス、今日は障害のクラスと行うことができます。そこに病院のリハビリが入っていき、一緒にカンファレンスをしています。
問題は、この子たちが大きくなったあとです。私たちの地域には、就労施設が非常に少ないです。私はもともと認知症の専門医ですが、相通じるものがあって障害児を診ており、B型就労支援事業所をつくっています。認知症の方にも就労の場所が非常に少ないので、今日はデイサービス、明日は就労支援のお手伝いというかたちでの無償ボランティア、有償ボランティアをしていただいています。私たちは勢い余ってリンゴ畑も買ってしまいました。ここで就労支援として、障害を持った方にリンゴ作りをしていただき、私たちの施設の利用者さんにリンゴ狩りを楽しんでもらっています。
また、就労支援の中で動物の飼育をしています。ヒヨコから育てたニワトリが産んでくれた卵も売っています。こういった、地産地消の築きも行っています。
もう1つ、働く場所がないことも問題です。医療や福祉、介護に興味がなく、その他の業種では働く場所がない。だから人口流出し、少子化することがあるため、商業ベースの働く場所をつくっていかなければならないと考えています。
次に、ケアシステムの中の認知症対策・施策です。私たちは認知症疾患医療センターの指定を受けていますが、ハイリスクの方の見守りプロジェクトであったり、認知症初期集中支援チームでの活動を行っています。ここで引っかかってきた人たちが、当然、行方不明になることがあります。ハイリスク登録ならびに静脈登録をして、警察と連携しています。何回も行方不明になった人は、フィードバックして、初期集中に戻していただきます。
18年前から行っている小学生も巻き込んだ見守りネットワーク、そして命の宝探しという訓練も毎年行って、常にこのサイクルが回るように、地域包括と警察、住民と私たち病院が常に面で認知症の方の生活を支えています。
その命の宝探しですが、啓発の授業を行い、下校時間に認知症患者役のボランティアさんに歩いてもらい、子どもたちが探して声をかけます。ハイリスク登録と静脈登録を市と警察にしていただき、全て、ファックス送信や地元ラジオでの放送が行われています。
改めまして、この地域包括ケアシステムに求められる姿に返ったときに、私たちの地域で、私たちはどれくらいの関わりをしているかを調べました。すぐ近くの中学校区を調べ始めたところで、データを積んでいかなければなりませんが、結論から言うと、多くの患者さんにとって、私たちは地域で支援ができているのではないかと考えます。
例えば、生活支援であれば、訪問するところも独居高齢者世帯の97%になっています。医療保険や介護保険の関係、医療と介護の関係では、かなり地域に根差した活動ができてきていると思います。
この中学校区の隣の地域も、ほぼ生活圏域ですので、今後はここを見ていかなければならないと思っています。介護予防の部門でも、予防でありながら病院に関わりが出てくるところが非常に重要だと思っています。
私たちのポリシーは、「必要なものをつくり出す」ということです。足りなければ補充していけばいい、なければつくればいいいのです。今、力を入れているのは、先ほどの身体拘束も含めて、「どうしたら縛らないことができるか」を学びたい方たちには、研修センターをつくり、全国からお集まりいただいて体験研修を受けていただいています。
過疎地で、交通の手段が大変な地域ですので、乗り合いタクシーやドライバーリハビリという運転に関するリハビリを行っていたり、先ほどの「いきいき未来のもり」、共生型の施設、そして移動販売もあります。移動コンビニをつくりましたので、これが走り始めます。これが運転を諦めた人の家に行くことで、連動します。農業の支援もしています。今は私たちが手を出せないところですが、今後、こういった防災エネルギーについても考えていこうと思います。
文化は、とにかくみんなが一緒に過ごすこと、認知症の人に優しくすることから生まれます。そして観光について、これからお話しする日帰り観光を考えています。どうやったら人が呼べるのかに今、非常にエネルギーを割いています。
そこで何をしているかというと、地域と一緒に活動していくわけですが、もう1つ、先ほどお話ししました移動の手段をつくったり、地域住民の困ったことに対し、商店やボランティアなどと一緒に「まち・ひと・しごとづくりセンターささえあい」を立ち上げています。
地域の商工会議所や、小さな店舗の方、いろいろなお仕事の人たちと組み、困ったことがあったら、その困りごとに対してコーディネートをするセンターが今月末から動き始めます。乗り合いタクシーも、地域のタクシー会社と連動し、私たちのところでコーディネートをし、相乗りの仕組みをつくる事業について、来月から実行運転が始まります。
人を集める、もう1つの目玉ということで、先ほど仲井先生もお話してくださいました。どうやったら人が集まるか、私たちの地域も魅力をもう1つつくるのは何かということで、温泉を掘りました。おかげさまで温泉が出まして、間もなく建物を着工します。ここに、今足りていない、障害児・障害者のグループホームとショートステイをつくります。
働きながら、障害克服のための生活介護が受けられるところ、そしてママたちや認知症の方も働けるところ、また、雪も降りますし、子どもを遊ばせる場所が中々ないエリアですので、アスレチックのような、子どもの遊び場所をつくりたいと思います。
医療機関ですので、健康を重視し、フィットネスや健康食のあるレストランをつくりながら、とにかく地域の活性化に私たちの専門性を生かしていきたいと思います。出来上がった際には、ぜひ皆さん、遊びにいらしてください。私の発表は以上です。ありがとうございました。
〇仲井:ご本人の話にもありましたが、クローズアップ現代+をご覧になった方は、どれぐらいいますか。NHKもびっくりするすてきな炎上が起きまして、1カ月の間に同じ題材でクローズアップ現代+が放映されました。医療界に少なからず、衝撃が走った発信源が田中先生です。体験談を教えてください。
〇田中:縛りたくはないけれども、拘束ゼロをできているところがないので取材をさせてくれという依頼をいただき、7月ごろから取材が現場に入っていました。NHKのクルーが入って、この病院は、なんでみんなこんなに楽しそうなんですか、ニコニコしているんですか、職員がこんなにリラックスしているんですかと言われました。重症者も、CVカテーテルもたくさんいますが、どうして縛られなくていられるのかとびっくりして帰られました。
そのときに、高山アナウンサーには身体拘束を受ける体験もしていただきました。本当にいらいらする、つらい、体ではなく精神的にきついと言われ、NHKに戻られて番組を制作されました。いかんせん、30分の番組でしたから、放映中からNHKに抗議の電話が入ったそうです。最初に抗議をした人は5分も見ていないようですが、こんな理想論は現場を知らないからだ、こんなことができるわけがないだろうというものでした。マイナーな話題ですが、Twitterでトレンドに「身体拘束」が挙がるほどでした。
中には、どれだけ苦しい気持ちで働いているのか分からないのかということで、250件、全てNHKが丁寧に電話取材をしたそうです。第2回には、本当にできないと思っている視聴者を送り込んでもよいかと問われ、10名が来る予定でしたが、結果的に来たのは2名でした。なぜ2名だったかというと、病院や上司が許可しなかったために諦めた方が何人もいらっしゃいました。
2名の方が来て、スタジオにも出ていた彼女が身体拘束の体験をしました。自分たちがこんなにひどいことをしているのかと泣いたシーンが流れていましたが、私たちの看護部で行っている身体拘束の体験は、縛るだけではありません。縛るときに、いかに大事にしない会話がなされているかを体験させます。その上で、どうすれば縛らなくて済むかという具体例、ツールを全てお示しして、第2回の撮影になりました。
スタジオ収録の際には、かわいい看護師さんの「私、やっぱりできません」に対し、NHKの編集で、「やっぱり頑張っていきましょう」で終わっていました。実際には、「特別な病院でしか無理ですよね」と言って収録が終わり、私は敗北感いっぱいで帰りました。大人げないですが、顔を出さないで、ぼかしてと言おうかと思ったのですが、いろいろな支援者がNHKに、そんな編集では駄目だと言ってくださり、私も縛らないことの大切さも訴えてほしいとお話しし、ああいう番組になったという裏話です。
〇仲井:ほかに、ご質問はないですか。とにかく、認知症になったら行ってみたい病院の1つです。田中先生、ありがとうございました。
③病院が地方創生をする意義
〇仲井:続きまして、江角悠太先生です。国民健康保険志摩市民病院の院長で、地球上の人を全部幸せにする世界平和を目指して、だけれども、やはり目の前のことからだということで、あちこちでいろいろな活動をされています。
ぜひ、皆さん、お楽しみに聞いてください。よろしくお願いします。
〇江角:こんにちは。ご紹介にあずかりました江角といいます。私は4年前、34のときに院長になりました。白石先生が院長になられたのも34歳で、白石先生のあとを15年後に私が走っているかたちで、ほぼ白石先生のなさっていることと一緒ですが、20分、お話をさせていただきます。
今、私が医療の中で一番問題だと思っているのは、医者が患者を助けなくなったことです。患者を助けていると、勘違いしています。本当にそれは、最後まで助けていますか。本当に最後まで幸せだったと、その患者さんは言っていますか。そこを確認していますか。
医者が病気だけを診て、患者さんが本当に助かっているのかどうかを確認しにいかなくなりました。それがだんだん、ほかのスタッフに伝わって、こんなものかと。結局、人1人を助けるには、相当なパワーが必要で、最後まで本人の意思を聞き切って、最後、本人の意思どおりに人生を生かすのは、とてもパワーの要ることであり、人的余力も要ることです。
だから、連携するのが当たり前です。医者だけでも、医療だけでも、介護だけでもできません。町全体、国全体が今、病んでいるときに、その1人を助けるには、町ごと助けなければなりません。町の諸問題、全部に介入しなければ、根本的に人1人を助けることにはならないのではないかと、私は日々思っています。
それを実践するため、これが医者だ、これが医療だ、これが理想だと後輩たちに伝えています。医者が理想をやらずに、誰がやるんだと、医者がやるからこそ、ほかの業種はついてきます。医者から、まずロールモデルを出そうと言っています。
なぜなら医者は、全ての人を助けると、自分のためではなく人のためにあると、学問の世界で教えられている数少ない業種の1つだからです。だからこそ、医者がやらなければいけません。こういう時代になったからこそ、もう1回、後世に伝えていかなければならないのではないでしょうか。大人たちが、それを実践していかなければいけないと思いながら、病院経営をした結果をお話しします。
偉そうなことを言っていますが、17歳の頃は、かなり大人たちに反抗していました。おまえら、それでいいのか。そんな人の悪口ばかり言い合って、他人に責任を押し付けて、本当にそれでいいのかと、ものすごく反発して、否定して、何回も何回も警察のお世話になりました。それが、「パッチ・アダムス」の映画を見て、自分のためではなく、他人のために生きるのが一番大事なことだと教えられました。そのことを、私の祖父母、両親からも、物心がついたときから言われていたと気付きました。
翌年の卒業式、じゃあ、誰のために自分の人生を使うか設定をしようと思いました。あるきっかけがあり、18歳のときに、60億人、1人残らず全ての人間が、幸せにする、助ける相手になりました。それからずっと、自分の人生を20年費やして、今、ここにいます。
人が幸せになるとはどういうことか、世界を回って、いろいろな国、いろいろな地域の人から聞き、医者でなくてもできるかたちはないか、医学生の自分にも何かできないかと思い、診療所を開くことはできないので、バーというかたちで大学の前で実践する場所もつくりました。
その後、沖縄で研修をし、東日本大震災が起きます。友達から電話がかかってきて、助けてと言われたので、震災から2週間後に学生を連れて向かいました。なぜ助けてと言っていたかというと、原発30キロ圏内に医療が入っていなかったからです。行政が止めていたのです。30キロ圏内に人が住んでいることすら、知らない人がいました。マスコミ、評論家は住んでいる人が悪いと言いました。私も、マスコミに洗脳されていたので、そう思っていました。
行ってみたら、全然違いました。今まで育てていた家畜はファミリーです。家族を置いていくことはできないから、避難所に家畜を連れていけるようにしてほしい、と。みんな住んでいる理由があります。それを全部差っ引いて、そこに住んでいるやつが悪いと言う医療、国、制度、政策が限界を感じたラインです。ここで、くっきりラインを引きました。
私は10割を助ける人間にならなければならないですから、制度、政策でこぼれる人たちを助けられる側の人間になろうと思い、田舎の専門の医者になることにしました。人、物、金が集まらないところで人を助けられる医療をつくっていこうと思い、そこからずっと田舎を周り、最後は船医をしました。
これこそ真の地域医療だと私は思っており、これから後輩を行かせたいのですが、ほとんど設備がない、物がない、何もないところで、いかにお客さんたちと助け合って、1人の人を助けるか。それは病気を治すことだけではなく、この旅行を完遂したいという本人の夢をどうかなえるかということです。船長権限で下船させることによって幸せを奪ってしまう制度と闘って、話し合って、旅行者の人生をどう完遂させるかが、ここでは大きなテーマです。
5年前、最後に志摩市に流れ着きました。こういう人口構成で、病院としては90床でした。私は世界中をぐるぐる回って、世界を変えるためには、まず1地域から変えていこうと思いました。田舎を変えれば、人が助けないところを助けられるようにすれば、5年後の韓国、20年後の中国、50年後の東南アジア、さらにその先、少子高齢化を必ず迎えるであろう地域の人たちを助ける術になるのではないか。まずは日本の田舎が最先端を切っていったので、そこを解決できる方法を全力で見つけます。
あと50年の人生を懸けてやっていこうと選んだ志摩市民病院でしたが、1カ月で病棟がなくなり、4カ月で医者が退職し始めました。私以外の医者が全員、辞めました。教授からは、「もうやらなくていい。できるわけがない。おまえのキャリアがぐちゃぐちゃになる」と言われました。
先輩からもそう言われましたが、私は世界を平和にすると言って、今までずっとやってきました。後輩たち、全員に言ってしまいました。赴任したとき、市民にも豪語して、講演会をしました。「私は50年、ここにいます。ここから世界平和をします」と言ったのに、たった1年で尻尾を巻いて逃げることはできません。意地で、残されたスタッフと施設とともに地道にやっていこうと、3年半がやっとたちました。
志摩市民全員を健康にするという、その健康の定義は何かを設定し、病院全員に、これをやるぞと言いました。1人残らず、これで幸せにしようと。これだったら、おそらく幸せになる、これでいこう、これのために病院ができることを全てやろうと言いました。自分たちができないことは、全てのほかの職種を使って、全体で助けると。船の医療と、同じことをやっております。
これは先日の症例です。この方はリハビリをしていて、帰る前提でしたので、退院前訪問に、入院してすぐにみんなで行きました。そしたら、ベッドを置けば底が抜けるような家です。雨漏りはしていますし、挙句の果てに、地域住民からは「この人、帰ってきちゃうの?」と言われます。明らかに、地域住民との関わりが悪いということをスタッフが体感し、これはまずい、家に帰すのは最善の選択ではない、施設だということになりました。本人に、そういう状況だったので老人ホームにしましょうと言ったところ、「はい」と言われ、そのまま老人ホームに退院する流れで進めていきました。
ところが、あるとき彼女が、本当は家に帰りたいと泣きました。「私は家に帰りたい。みんなは、そう思うかもしれないけど、私にとっては大事な家です。あそこで暮らすのが、一番の私の希望です」。彼女の意思を言っています、泣かれましたと、毎日4、5時間、手をにぎりながらついていた看護学生が言いました。よくぞ、それを聞きつけたと。もう1回、退院前カンファを開くために集まり、見事に方針が変わった事例です。在宅に、この人は帰っていきました。この人は、家族がいません。今後、看取りまでするとなると、難しいかもしれませんが、さらに私たちが何か考えなければなりません。
78歳の男性、胃がんターミナル、骨転移。この人も最後まで家で暮らしたいと言っていましたが、結局、家族が看られませんでした。腹水がぱんぱんで、歩けない、食べられない、しゃべれない。苦しいと言っていると入院してきました。学生に、「この人はあと2日ぐらいで亡くなるから、最期に生きていてよかったなと本人に思わせるように、全ての能力を使ってやってみろ」と言いました。
しゃべれない患者さんの横に、6時間、ずっと、手をにぎって座っていることができますか。私は、できません。彼女は、それを簡単にやってしまいます。腹水をちょっと抜いて、オピオイドをちょっとコントロールして、3日後に、「最後に家の風呂に浸かりたい」と、しゃべれなかったのに本人が言いました。
彼女が私のところに飛んできて、こう言ってきましたと。「でかした。それだ、それ。全力でかなえるぞ」と。時間が重要なので、すぐに人を集めて、すぐに入浴ができるようセッティングをするため、みんなで家にすぐに行きました。ベッドから入浴、浸からせる、出すという予行演習をして、段取りをします。一番大事なのは家族ですが、そもそも、無理だったから入院してきたのですから、家族は大反対です。
この家族の説得が、在宅につながる一番大事なところだと私は思います。大体、医療者は、ここで諦めます。「家族が言っているから、しょうがないよね」。だから、みんな在宅に帰れないのです。私たちの病院の患者さんの9割5分ぐらいは、家に帰りたいと言います。
「それなら、100%帰そう」と私は言います。家族が反対しても、本人が言っているから、関係ありません。家族が、どこが不安で、なぜ帰せないかを聞いたらいいだけです。そこに対して、自分たちが解決方法を持っていけばいいのです。それを積極的にやるしかありません。「だって最期だよ、自分だったらどうするの?」というのをやっています。
この場合は、家族に無理やりイエスと言っていただきました。最後、私は伝家の宝刀を使います。「大丈夫。何かあったら、すぐ来たらいいんだから。すぐ入院できる。駄目だったら、その日でも戻ってきてもらっていい。できなくても大丈夫」と言って、家族はしぶしぶでしたが、つれて帰りました。
実際には、この人は動かすときに苦しいと言って、入浴はできませんでした。ただ、帰って入浴させるまでの1日半で、彼はみるみるうちに食べられるように、しゃべれるように、笑うようになりました。ビールまで飲むようになりました。それを見た家族は、「やっぱり私たち、最期まで看ます」と言ってくれました。
先ほど、白石先生も言っていましたが、やったことがないから不安なだけかもしれません。支えられている、助けられる、大丈夫だという安心感がないので、それを私たちが言ってあげないので、やってあげないので、不安なだけかもしれません。
実際、家に帰ると、ほとんど患者さんは病院にいるときよりもよくなります。その状況を見て、これだけのスタッフが、私たち以上に熱い思いで、自分の父親に対してこんなに言ってくれているとなったら、「やります。私たちもやりますよ」と言って、この人は在宅で2週間、最後に花見までして、お亡くなりになりました。
これを体験すると、医療者、介護事業者は全員、やめられなくなります。家族がハッピーです。最期、笑って死んでいきます。家族も、「本当によかったです。最後、やってみて分かりました」と言います。こういう状況をつくっていく必要があります。ここには、圧倒的に家族が必要です。そして、この症例では学生でした。もちろん、こんなものが必要なのは当たり前です。私たちは仕事です。でも、それ以上に大きなパワーを持っているのは、この2つだと、この症例以外でも何度も感じることがあります。
であれば、家族が同一地域内に住んでいることが、これから在宅医療、本人の意思を尊重していく医療をやっていく上では、重要なコンポーネントの1つだろうと私は思っています。だから、家族がその地域に住める町づくりをしなければなりません。
その世代が、そして、その下の世代が住める町づくりをするために、三大要素を医療がやっていかなければならないのではないでしょうか。1人を助けるためには、町そのものの問題点に医療者が介入していく、病院が介入していく、町を治療していかなければいけないのではないかということで、今、私たちはやっています。
その中で、今日は時間がないので教育のところだけお話しします。これは、中学生から高校生、大学生、最近は社会人、今年から障害者や不登校の児童も来ています。年間150名くらい来るようになりましたが、目標は「自分たちで助けなさい」ということです。学生は、治療はできませんが、先ほど言ったとおり、ケアは最大限にできます。
学生ほど、ケアができる人間はいないかもしれません。それを自分たちの目でやってごらんなさいということで、担当患者を与えられた学生たちが、ただそれだけを毎日やり続けます。助けた患者さんは、どんどん出てきます。学生は、自分でも助けられたと自信を持ちます。もちろんスタッフも、もはや学生なしでは医療ができません。スタッフにとっても、学習者ではなく1スタッフとして、手間が省ける、むしろやってもらえると学生を重宝するようになってきます。
それだけではありません。人口減少でつぶれそうな祭りがあります。みこしの担い手がいなくなります。学生が、ばんばんそこへ出ていきます。住民がそれを重宝し、学生も喜びます。それができるのは、住民でも社会人でもなく、唯一学生です。素晴らしい救世主です。
やがて、学生が自分たちで団体をつくり、誰も助けることができない地域を、なんとか自分たちの力で助けられないかと活動を始めました。町の治療には、全ての業種が必要です。何学部のどんな学生であっても、地元の中学生、高校生に興味を持ち、自分たちで育てようという文化を町全体でつくります。
最後に、これはうちで実習をした学生たちの卒業式を病院で開き、地域住民が祝っているところです。毎年、この総代が「私は、志摩市民病院に育てられたとは思っていない。志摩市民に育てられた。私は必ず帰ってきて貢献ができるように、恩返しができるように、社会に1回出てきます」と言って、みんな巣立っていきます。外からも応援してくれるようになり、中に帰ってくる人もいます。
これは、去年から始まりました。学生も1つの地域に入れて、医療・介護、産業、教育の3分野に関わる地元のステークホルダーと、外の知見を持っている方々とで、毎年1回、サミットのようにして住民に聞いてもらい、実際に、どういう活動をこれからしていくのか、何が重要なのかを話し合います。
第1回目は、重要なのは教育だという結論になりました。結局、ちゃんとした教育をして、地元に帰ってくるマインド、生きている意味を小学生、中学生、高校生の若い人たちに伝えない限り、若者はどんどん出ていくという結論になりました。ここに、もちろん学生の団体も、実習生も入っています。
一昨年、私は祖父を95歳で看取りました。神奈川県にいて、私はそのとき、1人院長でしたので、大学の先生たちに頼んで、1週間出させてもらいました。亡くなる2日前にケアマネから、「鶴巻温泉の地域では、オピオイドを在宅で使える開業医がいないから、家に帰れない。だけど、本当は、おじいちゃんは家に帰りたいと言っていたよ」と、私に直接電話がかかってきました。「あなたが帰ってきたら、できるよね」と。帰る前に祖父に電話をして、「本当に帰りたいのか」と聞くと、虫の息で「うん」と言いました。
調整をして夜中に向こうに行って、翌日退院で、そこから1週間、祖父は生き切りました。1週間、24時間、ずっと患者さんの横に座って寄り添っておられた経験のある方はいらっしゃいますか。普通の医療者では、なかなかないと思います。私は半分医療者、半分家族です。医療者として、ここでずっと経験してきましたが、このとき初めて、最後まで家で暮らすことはこんなに貴重なことなのだなと、こんなに本人を豊かにするのだと分かりました。これは納棺した直後です。笑っています。こんなに家族が幸せになると知りました。
実際に味わったので、本人の意思を尊重し続ける精神性が、医療者、介護事業者、支える家族、全ての人間に大事だと思っています。そのことを、これから全ての人たちに伝えていきたいと思います。まずは志摩市からというのが、これからの私たち志摩市民病院がやっていく道だと思っています。ありがとうございました。
〇仲井:ありがとうございました。
〇高橋:江角先生、どうもありがとうございました。1人院長から、その後どうなりましたか。
〇江角:去年、2人医者が増えまして、1人は私のこういう話を長年聞いていた、沖縄の初期研修時代の1つ後輩です。ずっと三重に来いと言っていましたが、6年かけて、去年、来ていただきました。
もう1人は、私の父親に来てもらいました。もともと、がんセンターでずっと研究医をしていましたが、最後に地域医療をやりたいと言っているので、変なところでやるよりもうちでやってくれと言いました。ほかの仕事の話もあったようですが、最後は現場というのと、これから、ほかの要職をやっても、大して世界も自分も変わらず、今までと一緒だろうと、1回、方向転換をするなら今だということでした。5年後には無理だからと、70歳で研修医から始めています。
昔、父親とは本当にけんかが多かったのですが、こちらへ来てから、けんかがなくなりました。父の方が、やっと私の言っている意味が分かったそうです。がんセンターという、超専門のところにいたので、話が合いませんでした。合わない理由を知らないだけでした。これからの日本に何が大事か、見たら、やったら分かります。もちろん、がんセンターも大事ですが。
昔から私は、留学しろと父に言われていました。「田舎でやっていたらつぶれるぞ。そんなに若いときから田舎でやっていて、どうするんだ」と言われていました。留学する意味がないから、行かないのです。世界を平和にする方法論がどこかに転がっているなら留学するけれど、どこの世界にもないだろうと。それを日本で最初につくるんだと言っていたのが、けんかの種でしたので、父がうちの病院に来て、できるかもしれないと思ったのではないでしょうか。
〇仲井:ほかにはないですか。私は江角先生のお父さんにお目にかかったことがありますが、すごくうれしそうにされていました。一番、今、喜んでいるのはお父さんでしょうね。
④生きる力を引き出し、繋げる、拡がる
〇仲井:では、続きまして室谷ゆかり先生。医療法人社団アルペン会の理事長をされています。私にとってはお隣の県で、よく遊びに行かせていただきます。面白いことをいっぱいされています。よろしくお願いいたします。
〇室谷:富山県富山市から参りました、アルペン会の室谷ゆかりと申します。私たちは、アルペン会の町づくりとして、生きる力を引き出し、つなげる、広がるというところが、今までの私たちの運営の中で学んできたことですので、報告がてら、お話をさせていただきたいと思います。
ここに写っているヤギは、うちの病院スタッフのヤギです。3月に生まれてから、大体、雪が降る時期まで、こちらにレンタルヤギとして参ります。2匹とも、患者さんの話し相手です。先ほど、田中先生も拘束の話をされましたが、患者さんがスタッフ以外の誰かに何かを話したいことがあります。これは初代のヤギで、今、3代目がおります。
私たちのアルペン会は、富山県にあります。能登半島の下に富山県がございまして、富山県の形はハート型ですが、私たちは、その真ん中辺りにおります。神通川の一番先のほう、アルペン室谷クリニックと書いてある緑のところが、もともと私たちの発祥の地です。
富山市はコンパクトシティーということで、交通機関のあるところに町をつくることを進めています。たまたま、市電の一番北側に私たちの発祥の地があり、真ん中のほうに線路が書いてありますが、ここに2カ所目、ここが3カ所目と、富山市のコンパクトシティーの概念にほぼ沿ったかたちで事業所を運営しております。
そう言うと話はとてもきれいですが、私はどちらかというと、家族の必要性に応じて自分の人生も全て変えてきたほうです。もともとは祖父が病院をつくりました。町医者として始めましたが、長期療養型をやっていますと、医療だけでは収まり切れないところがあり、高齢者介護を始めました。
私が小さいころは、スタッフの子供さんと一緒に遊んでいた記憶がありますが、そのころは学びというものが正直、全くなく、本当に「遊んでおいで」と言われて、みんなでわーっと遊びにいくだけで、なんとなく寂しさはぬぐえませんでした。そこで、ぜひスタッフのお子さんのための保育所をつくりたいということで、施設の横にスタッフの保育園をつくりました。
そのあと、こちらの長期療養の病院では、なかなか在宅に復帰できないけれど、私たちは、それに対して何かできないのかということで、より早く、早期に関わる回復期のリハビリ病院をつくって、もう一度、在宅に帰るかたちに進めました。
高齢者に関われば関わるほど、高齢者と子どもさん、どちらもサポートを必要としているのですが、お互いのことを全く知りません。その間にいる親世代も、分かりません。これでいいのかということで、子どもと高齢者が一緒にいる、多世代の交流の場をつくりました。
そのころ、子どもさんの中でも発達障害のお子さんが増えていまして、よりサポートが必要なお子さんたちのサポートもしたいということで、学童保育、放課後等デイなどの場所をつくってきました。
回復期リハビリ病院も、患者さん方は中途障害で、社会にもう1回、復帰するチャンスがなかなかありません。中途障害の方が働ける場所、それから放課後等、デイの子どもたちが、いずれ働く練習をする場ということで、障害の方が働く場づくりを昨年から始めております。
医療から始まった私たちのグループではありますけれども、医療、介護、保育、障害の4分野を5ヶ所でやっております。その取り組みを紹介したいと思います。
富山県の人口について、ほかとほぼ変わりませんが、平成18年から30年までの12年間で、高齢者が8%ほど増え、生産年齢人口は6%減りました。年少人口は、ほぼ変わらないです。
私たちは最初、高齢者と子どもが一緒にいる場をつくるということで、2014年、「あしたねの森」をつくりました。ここは手前が高齢者の施設、デイサービスや特養です。向かい側が保育園、学童保育、放課後等デイなどの場所になっています。
ここで、いろいろなことがどんなかたちで行われるか、一端をご説明します。例えば、特別養護老人ホームの利用者さんと、保育園で誕生会をやります。このとき、最初に子どもが将来の夢を聞かれ、2歳の子がケーキ屋さんと答えました。
私たちは、特別養護老人ホームの方が夢を語るとは思っていなかったんですけれども、この方は、将来の夢は、今年も元気に旅行がしたい、自分の実家は横浜だから、横浜に行きたいとおっしゃいました。97歳の方が、そういった夢を語り、翌年、この方はかなり弱っておられたのですが、横浜に行き、中華街でご飯を食べて、お酒を飲んで、その翌年に亡くなられました。子どもと一緒にいると、一緒に夢を語ることができます。
また、学童保育のお子さんたちは、毎日、学校から帰ってくると、デイサービスのお掃除ボランティアをします。デイサービス、特別養護老人ホームにいつも片付けに来てくれるので、お盆にこの子たちが来なくなると、お掃除部隊がいなくなってデイサービスの仕事が増えるということで、もはや、この子たちはスタッフの一部であり、帰ってくるのを待ち望まれています。利用者さんが「おかえり」、子どもたちが「ただいま」と言って始まります。
一方、高齢者も昔取った杵柄で何かできるのではないかということで、こちらでは、その方の生きがいにつながるボランティアとして、サポーター制度を行っております。例えば、デイサービスで、ものづくり、体操といった、趣味として自分のできることを活用し、スタッフになってもらいます。
あと、教室を開いてもらっています。サッカーの講師をしている方は、長年、高校でサッカーの先生をしていて、子どもたちに無料でサッカー教室をしておられます。フラダンス教室は、講師が84歳、参加者の保育園児が3歳、デイサービスの利用者さんが103歳です。
こちらには、東京から来られたインターンシップの学生さんが3人ほど写っています。この方々は慶応大学の学生さんたちで、ゼミの学びの一環として、富山で1ヶ月過ごしました。都会と地方とで、学生さんの考え方も異なりますが、そういうお兄ちゃん先生が来て、子どもたちと一緒に過ごす、高齢者と将棋を指すといったデイサービスの関わりで、私たちも学生さんたちがどんな考えの人たちなのかが分かります。都会と地方といったことも、どうでもいいんじゃないか、みんないい人だということを学んでいます。
これが子どもたちの姿です。これは逆立ち、3点倒立をやっております。こういう技は、誰からともなくやっていきます。これは秒跳びといいます。そろばんや、小学校の教科書の拾い読みをします。
見てお分かりだと思いますが、子どもたちは、どの子も体操も読み書きも音楽も、練習するとできるようになります。また、できているのを見て、親御さんも高齢者も、すごいねと言いながら、自分たちも何かできるんじゃないかという気持ちを持つようになりました。
その気持ちが高じてというわけではないですが、先ほどお話ししたように、回復期の病院の中途障害の方、それから放課後等児童デイを18歳で卒業する子どもたちが、働くということをもう1回、学ぶべきではないか、学ぶ場所が欲しいということで、去年の4月にカフェ、イベントスペースをつくりました。
ここでは何をしているかといいますと、店舗運営の中で発生するさまざまな作業活動を、お仕事の練習として行います。掃除をしたり、袋のこういったものを作ったりしています。私たち医療者だけではなく、地域の特殊な力を持っておられる方々にも協力していただいています。
地元に住んでいる現代アーティストの方、ブタを立山山麓で放し飼いにして育てている業者の方、日本酒の杜氏、チェコの地ビール職人といった人たちが、自分たちの特技を生かしながら、このカフェの運営に力を貸してくれています。
今のカフェでは、プラチナ大吟醸という、大吟醸の中でも一番いいクラスの酒かすを杜氏から分けていただいて、酒かすマカロンを作っております。これを作っているのは、やはり利益率が高いからで、なんとか運営に役立てたいと思います。
片麻痺で要支援2の方がデイサービスに来ておられるのですが、このスライドは、パッケージを組み立てる仕事をしていただいているところです。動かないほうの手で押さえながら、うまく組み立ててくださいます。
この方が、先ほどの多世代のデイサービスに週2回、来てくださっているのですが、こちらのデイサービスでは、時間を決めて、自分が何をやりたいかプログラムを決めます。この方には、運動、マッサージ、清掃活動をしていただいておりますが、このデイサービス以外に、先ほどの就労支援にも来てくださっています。要支援の方は、十分に働ける要素があります。
この方の障害に、より早期から関わっていれば、もしかしたら、もっと改善できたのではないかという思いもあり、救命してから回復期、生活期への流れをもうちょっと工夫してみたいと思っていたところで、総合病院から、私たちの回復期に来られました。
今までは自宅からデイサービスに行くのが主でしたが、今は就労支援施設という選択肢があります。そして、もう一度、この総合病院と私たちの回復期の関係性も工夫できないかということで、今年の9月に、車で5分ほどのところにある済生会富山病院と連携協定を結ばせていただきました。
私が医療法人として出ていて、私の母が社会福祉法人の理事長として、院長先生と一緒に写真に納まっています。今回の連携協定で私たちがしたかったのは、医療連携だけではなく、医療社会福祉という概念で、より早期に、治療の段階から関わって、回復期、そして介護サービス、そのあとの生活福祉をもっと考えていけないかということで、今、トライアルを始めています。
アーティストの方も、さっきのカフェに来てくれています。彼女と私たちがやりたいと思っていることは、障害があろうがなかろうが、その人の感性で生きるときに、働くというかたちばかりではなく、生きていくことの意味、生きていくことの楽しさを感じられる場をつくっていきたいということです。カフェの中で彼女がいろいろと工夫して、自分の気持ちを解放する場をつくっています。
富山県は東京の日本橋に、日本橋とやま館というアンテナショップを持っています。先ほどのマカロンを、ここになんとか置けないかということで、現在、富山県がコンペを行ってくれています。一次予選は通過して、今、二次予選に入っています。今後、売れるものをシェフと一緒にもっと作り、売れることで働いている人たちの生活、生きがいもってくれるのではないかということで、商品価値を上げる取り組みも行っています。
一番大事な「地域包括ケアの成功には?」ということです。先日、雑誌を見ていましたら、慶応大学の唐沢剛さんが書いておられた文章に、私たちの取り組みがまとめられていると思いました。ご紹介します。
地域包括ケアは、基本的に医療と介護の連携を縦軸として進めています。同時に、生活支援とまちづくりの要素がなければ、皆さんの生活を支えていくことはできない中で、雑木林の思想と、新しい思想という言葉を紹介されていました。雑木林では、「林をつくるときは、隣同士は全部違う種類の木を植える。同じ種類の木を固まって植えると枯れてしまう。しかし、上下左右違う種類の木を植えれば絶対に枯れない」。
私たちがやってきたように、お子さん、高齢者、親世代、障害がある、ない、そういったものも関係なく、いろんな人が集まってくることで、なぜ強くなるのか。それが雑木林の思想に表れている気がいたします。
多様性と交流で「ごちゃまぜ」というキーワードを最近、よく聞きますが、まさしく唐沢さんもおっしゃっていました。「あらゆる人たちを“ごちゃまぜ”にして、自然に楽しく、その力を引き出し、元気と活気ある地域、あらゆる人に開かれた地域を作っていく」。何よりも、「開放された“ごちゃまぜ”により、私たちは新しい協力者に出会うことができる。協力者との相互作用により、化学反応が生まれ、新しい価値と社会を創造する」。
私たちも、創造していたわけではないですが、高齢者、子ども、親世代が集まって、何が一番中心になったか。正直申し上げますと、子どもさん、それから子どもさんにつながる若い世代の人たちが、ここでなんとか自分たちは頑張っていけるという思いを出していく場面が多くあればこそ、高齢者の方が言う言葉が変わってきています。
以前は、「私たちがこんなに助けを求めているのに、どうして、それをしてくれないんだ」とよく言われました。子どもさんがおられると、高齢者はそういうことを決して言わず、「私はあとになってかまわないから、そこの子どもを優先してほしい」と言われます。社会の中で、どうしていく、お互いをどう助け合っていくべきかというときに、お互いの存在を感じ合うことが、新しい協力者を生み出すのではないかと感じています。
今までにない組み合わせを、今こそつくっていく必要があります。「ごちゃまぜ」というのは、つながりが新しい力をつくるものだと思います。例えば、ポケモンGOのときにすごく面白いと思ったのですが、今まで動かなかった人が面白さにつられて動きます。何かのしかけがあって、生きていく人たち1人ひとりに、みんな自分のストーリーがあります。どの人も、大事なストーリーの中で生きていると共感し合うことこそが、自分の人生とともに相手の人生も大事にすることです。
1日は24時間しかないので、誰かの人生のために自分の時間を全部渡すことがいいわけでもありません。お互いの時間を、どういうふうに渡し合って生きていくのかを大切にしていくことがいいのではないかと感じています。
田舎だからこそ、三世代スキーができます。私の父と息子と妹です。父は脳梗塞とがんを患いましたので、このとき、まさか父がスキーをするとは思っていませんでした。たまたま息子と妹がスキーをして、見ていたら田舎人なのでやりたくなって、普通の服でしたが、レンタルスキーで急にやり始めました。
そういったときに、家族って、一緒にいて楽しいなと初めて思いました。私は親と旅行をしたことが1度もなかったので、正直、スキーをできたのは、これが初めてです。先ほど、江角先生も言われましたが、本当に家族が一緒にいてこそできるということを、いろいろな方に伝えていけたらと思っています。ご清聴ありがとうございました。
〇仲井:ありがとうございました。先生は淡々と語られていましたが、ベースに流れているものは共通だとすごく感じました。まちづくりは地域包括ケアのキーワードだと思います。室谷先生に来ていただいたのも、まちづくりというキーワードを語ってもらうためでもありますが、1医療機関ができることのマックス、限界は何でしょう。
〇室谷:1医療機関というか、その地域、その場所によって求められているかたちがあると思います。
私は、たまたま、こういうことが自分たちのところに必要でやったのですが、やってみて、多世代の場所は、小学校の校舎などに集まればできる話なのです。無理に多世代の場所をつくる必要も全くなく、多世代の人たちが会える環境があればいいと思います。
1医療機関が、行政がということではなく、各町、各地域で、お互いが会って、何かをして喜び合って生きていく、みんなが大事だという場所がなければなりません。
変な話、冬は患者さんが増えますが、夏は脳卒中が起きないので、夏が来ると患者さんがいなくなって冷や汗をかきます。患者さんがいないことを、素直に喜べない私は何なんだと思っていました。1医療機関が、社会の中でどうするかということです。
今、済生会との連携で思っているのは、夏に医療機関がするべきことは、脳卒中ではないのではないかということです。夏に済生会と私たちが組んでできること、今、考えているのは、夏場は慢性疲労症候群など難病の方に対して、じっくり治療、検査、リハをすることにエネルギーを使わなければ、自分たちの患者さんがいないから困ると言っているようではいけません。
医療機関の果たせる役割と、今の考え方ではないところで考えていくことで、もっと皆さんがハッピーになるのではないかと思っています。
〇高橋:最初に言い忘れていましたが、皆さん、お気付きでしょうか。最初が隠岐の島、そのあと群馬県の沼田、志摩、富山と、今回は地域の規模が少しずつ大きくなる配置です。最後は原先生、大都市の代表、福岡からお願いします。
基本的に、今回お願いした先生たちは、みんな、自分の病院以外の地域に何かをしようと働きかけている先生を選んだつもりです。
おそらく、富山全体を管理というのは室谷先生も考えていないし、原先生も考えていないと思います。都市で、自分の周りの地域を変えていくことは、地域包括ケアですごく大事なことです。仲井先生もそうですが、地域にどう働きかけるかということです。
江角先生も言われましたが、お医者さんが本当に住民を救っているか、患者さんを救っているかという疑問を持てるかどうかだと思います。
〇仲井:ありがとうございます。ピースボートの話を、昨日聞いていました。病気を出さない。出すと、その人がヘリコプターで連れていかれるとか、いろいろなことを言われてボートから降りなければいけない。そうしないために、予防という点と、そこにいる人は誰でも健康維持増進のために使うという考え方が非常に重要です。われわれが医療といったときに、予防をすごく真剣にやると、自分たちの仕事が減っていくわけです。それを室谷先生が言われた。
そういうところを、これから十分、考えていかないといけません。昨日から、ずっと思っているところです。もやもやするけれども、これを解決しなければどうにもなりません。何か解決する方法がないか、ディスカッションをしてもいいかなと思います。
ほかにどなたか、ご質問は。それでは先生、ありがとうございました。
⑤福岡県の医療連携の状況 ICTの活用
〇仲井:最後は原土井病院の副理事長、原祐一先生です。今までとは少し毛色が違うと言うと失礼ですが、IT関係、ネットワーク環境の話になります。新たな見方で、地域包括ケアシステムについてお聞きします。
〇原:福岡から参りました、原土井病院の原と申します。今、福岡県医師会の常任理事をしております。そして、日本医師会の医療情報IT委員をしておりまして、去年からは日本医師会総合政策研究機構の研究部長補佐もしています。自己紹介させていただきたいのですが、いろいろな立場があるので、最初は病院の立場から病院の紹介をさせていただき、そのあと福岡県のお話をさせていただきたいと思います。
原土井病院は、福岡市東区にございます。九州の中に福岡県があって、福岡県の中に福岡市があります。原土井病院は福岡市の中のベッドタウンのようなところ、郊外にある施設です。福岡は、皆さん、ご存じかと思いますが、空港がすごく近くて、今日も朝、7時半の飛行機に乗るのに、家を6時50分に出て間に合いました。福岡空港と博多駅も、ものすごく近く、地下鉄で2駅です。ドームもあり、巨大船が毎日、中国からやってくるので、中国人がすごく多くなっています。
この間はホークスが、また優勝させていただきました。再来週からは大相撲九州場所があります。先ほど、高橋先生に言っていただいたように、かなり大都会ではないかと思っているところです。この間、ホークスのときに、古賀ゴルフ・クラブで日本オープンゴルフも開催されていました。
原土井病院は、昭和42年に開設しました。現在、556床の病院です。職員数はご覧のように医者が43名、看護師が332名です。病院で919人、社福と株式会社で老人ホームをやっておりますので、全部で1,500人ぐらいいると思います。
病棟の種類はたいがいのものは全部あります。一般病棟、DPCが86、地域包括ケア、回リハ、医療療養と特殊疾患と緩和ケアです。今度、介護医療院をつくる予定です。入院は内科が大半で、整形、リハ、緩和ケアがございますので、緩和ケアの患者さんが入院患者の大半を占めます。
地域連携という観点でいくと、外来から入院する方が3割、近くの診療所からの紹介、近隣の病院からの転院、そして周りの、直営ではないいろいろな施設からの入院患者さんが20%ぐらいになっています。
いろいろなところから紹介いただきます。ちなみに、あおばクリニックというクリニックがありますが、ここの院長の妹が、歌手のMISIAです。和白病院というのは、最近、関東に大量に病院をつくっている巨樹の会の蒲池先生の病院です。これが本院らしいですが、よく分かりません。そういう病院から、紹介を受けております。
皮膚科の常勤医が2人、クリニックでも2人、皮膚科が全部で4人います。こういう病院はあまりないと思いますが、回リハもあって、療養もあって、皮膚科の常勤もいるということで、皮膚疾患の方や褥瘡の方も、結構入院していただいています。
また、診療科はいろいろございますし、総合診療には、九州大学の総合診療科の先生に来ていただいています。総合診療科出身の先生が、先ほどの43人中6人ぐらいいます。そういう方に大体、外来や入院の初期を診ていただいています。
多職種の連携の会を年に2回、行っています。地域のいろいろな職種の方に集まっていただいて、院内の紹介や交流の場をつくっております。よく顔の見える関係をと言いますが、そういうことを福岡市東区でやっております。
福岡市は現在、人口は160万人、周辺人口を含めると200万人ぐらいです。東区だけで32万人です。病院グループは、病院と、株式会社と社会福祉法人、学校法人で1つのグループをやっています。診療所が全部で4つ、あとは小規模多機能などをグループでやっております。
今までが病院の説明だったんですが、ここから、福岡県医師会の常任理事の立場で話をさせていただきます。日医君って、知っていますか。日医がつくったゆるキャラです。これを県ごとに47つくっています。これは福岡県の日医君です。これは福岡県医師会の松田会長です。横倉会長をつくった人です。
福岡県は、全部で13の医療圏に分かれております。福岡市は、福岡・糸島医療圏です。ここは粕屋、うちの病院は、この境ぐらいの福岡市側にある病院です。この2つの医療圏からの患者が多いです。このへんが久留米、大牟田、ここは北九州です。福岡はいろいろな文化圏があって、気質もいろいろです。
福岡県が、「とびうめネット」という診療情報ネットワークをつくっているので、その話を今からしたいと思います。とびうめというのは、ご存じと思いますが、菅原道真を京都から追いかけてきたと言われるとびうめです。福岡県の県花がウメですので、とびうめネットという名前にしております。令和の名前の由来になった神社も、このすぐ近くにございます。
この、とびうめネットは、現在、4つの機能を持っております。救急医療支援システム、多職種連携システム、災害時バックアップシステム、健診情報保存システムから成り立っている仕組みです。
救急医療支援システムの話から始めたいと思います。これは、かかりつけ医が事前に患者さんの同意を得て、とびうめネットの中に、患者さんの基本的な診療情報を入力します。それを、患者さんの同意のあるほかの医療機関で、ネットの中で見ることができる仕組みです。病名、処方、簡単なサマリー、アレルギーやDNARなどが入力可能になっています。
これは簡単なシェーマですが、かかりつけ医が入力した情報を、病院の医師が急変のときに見ることができます。救急隊も、地区によっては見ることができます。どの病院に行きたいかという患者さんの希望なども入っていますので、救急隊も、そういう面でやりやすいと聞いております。ある程度、高齢者の方、在宅医療を受けている方、特に施設に入所している方に入っていただきたいと思い、今、運動しているところです。
こういう画面に、かかりつけ医の先生に入力していただきます。そして、レセプトから病名や処方内容を引っ張ってくることもできますので、直接入力しなくても、レセから情報を入力することもできます。
来月から、北九州地区だけですが、北九州市が国保のデータベース、国保に入っているレセ情報を、直接とびうめネットに入れてくれることになりました。今までかかりつけ医が同意書を取っていたのですが、患者同意は北九州市が取ってくれることになりましたので、これでだいぶ進むと思っています。
入院を受けるほうの病院は、ぜひこれを見てくださいとお願いしています。また、最後、退院をするときに、退院時サマリーをネットの中のPDFファイルで登録することができますので、徐々に患者さんの情報がたまっていっているのではないかと思っております。具体的には、こういう画面で入力をしていただきます。
登録すると、患者さんのところに、このようなカードが送られてきます。このカードを救急隊などに見せると、救急隊もある程度、行き先や、患者さんの基本的な情報が分かるようになっています。
これは救急隊の方へお願いです。救急医療支援システム、一番上の仕組みと、災害時バックアップシステムというのは、SS-MIX2という電子カルテに入った情報を、そのまま災害時のために取っておく仕組みです。長崎にあります、あじさいネットは、そこのSS-MIX2の情報を、ほかの診療所や病院で見ることができる仕組みで、それと全く同じものを災害時ということで使っています。
同じ情報がSS-MIX2で入りますので、これとこれをマージすると、入院中の情報も見られるし、おそらく紙カルテが大半ではないかと思われる、かかりつけ医の情報もデジタルデータになって見ることができます。
もう1個、多職種連携システムがあります。これは訪問看護師や薬局の方も入力、参照する仕組みになっています。多職種連携システムはLINEみたいなかたちで、いろいろな人が事前に入力したものを、主治医や訪問看護師、薬局などがお互いに参照できる仕組みです。
いろいろな民間業者も同じようなものを出してはいるのですが、どこも同じような問題があります。範囲をどうするか、誰を招待するかは、県ではなく群市区で決めていただいております。
これが、多職種連携システムを採用していただいている医師会です。浮羽は久留米の山奥です。粕屋は福岡東区の真横、糸島は唐津に近いところです。そういうところに、採用していただいております。採用の方法が、各医師会によって少しずつ違います。
粕屋はある程度大きな町ですが、かかりつけ医と基幹病院、そして古賀市も中に入っています。市も入力することができます。訪問看護や薬局も入っています。一方、糸島はちょっと違って、行政は見られません。かかりつけ医が各歯科、訪看、介護を招待し、ここで情報のやりとりをしているそうです。プラットフォームは一緒ですが、ルールがそれぞれの地区で違います。大牟田といって、熊本のほうですが、ここはかかりつけ医と訪問看護ステーションだけで連携しています。
浮羽が、一番よく使っていただいています。かかりつけ医、訪看、訪リハ、地域包括支援センター、消防も入っていただいて、情報共有をしていただいている地区もございます。浮羽で、かなりパイロット的にいろいろ進めていますが、先ほど見ていただきましたように、福岡市と北九州市は入っていません。北九州のように100万都市になると、あまりにもステークホルダーが多く、なかなかまとまらないので、小さいところから攻めています。小さい町でやっていただいて、大きな福岡市と北九州市にいく計画です。
浮羽でいろいろな事例をやっています。訪問リハ時に屋外で転倒していたという内容を、主治医に写真付きで送った、訪リハが家屋調査をした、小規模多機能のショートステイ中の様子を主治医に動画で連絡したといった場面で使っていると聞いています。
ここからが、災害時バックアップシステムです。東日本大震災もありましたし、近年では九州では熊本地震もありましたし、福岡の水害もありました。そういうときに、電カルや電レセが水に漬かると、復旧ができないそうです。電子レセプトの情報、電子カルテのSS-MIX2に入っている情報だけですが、それを福岡県医師会館のサーバで保管する仕組みです。
これは、あじさいネットなど、多くのところでされている地域医療連携の仕組みと同じですが、その情報を取ってきます。それを、先ほどのように患者さんのかかりつけ医にも見せることができます。これが、SS-MIX2の2次利用によるカルテの開示情報です。これが一般的な地域医療連携で、多くの地区は、これをHuman BridgeとID-Linkでやっているのではないかと思います。
この福岡県医師会館は、災害にかなり強い建物らしく、震度7でも壊れません。免震になっていて、サーバも壊れないことになっているようです。2階に、サーバがずらっと並んでいます。横倉会長のヨコクラ病院も、これに参加していただいています。ヨコクラ病院の電子カルテのデータも、全部、医師会館の中で保存されています。
福岡県内には全部で4,000くらいの医療機関がありますので、まだまだですが、現在、とびうめネットは、747医療機関に参加していただいております。レセプトバックアップというレセコンのデータのバックアップは293医療機関、電カルまでバックアップしてもらっているところは、まだ9ですが、少しずつ増えていけばいいと思っています。
オプトイン同意というのは、患者さんが自分の情報をほかの人と連携してもいいと同意するものです。9,000人ぐらいです。オプトアウト同意は、連携したくない人だけが、そこから出してくれというものです。そういう意味では、レセプトバックアップだけで183万人、電カルで96万人分のデータが医師会からのサーバの中に入っていますので、万一災害が起きたら、これをある程度開放していって、データが全く消滅してしまうことがないようにしようと思っております。
活用事例です。このスライドは患者さんのご家族からのお手紙です。在宅で最後、看取りをされたようです。実際には、とびうめネットを使わなかったのですが、入っていることによって、在宅医療に対して安心感が得られたというお手紙です。これが実働したわけではありませんが、患者さんやご家族の安心につながると思い、ご紹介させていただきました。
患者さんにとってのメリットは、休日・夜間でかかりつけ医が対応できない場合でも、かかりつけ医と病院の間で情報が共有されている安心感につながることです。かかりつけ医は自院の患者が急搬された場合、夜間や休日の問い合わせが病院がなくなるとか、診療情報提供書をすぐに書かなくても、大体同じものが入っていますから、あとで書いてもいいというメリットがあります。病院としても、かかりつけ医に情報を問い合わせる作業が軽減されるとか、自院にIDがない、初めての患者でも情報が大体分かることがメリットだと思います。
あとは今、施設の方にぜひ登録をしてほしいと言っています。看護師がいなくて、ヘルパーや介護福祉士しかいない場合でも、また医師と連絡が取れなくても、初めにかかりつけ医が全部情報を入れてくれているので、そういう面では、かなりスタッフの安心感につながると思います。それぞれの病院のメリットなども、書いてあります。
災害時も、患者さんは普段飲んでいる薬が分からなくなったり、お薬手帳の持ち出しができなくなった場合でも、ある程度、自分の飲んでいる薬がトレースできると思います。
これのスライドは、活用事例です。かかりつけ医が消防に連絡するとか、消防から病院にというのが、ネットである程度できるようになってまいりました。
最後ですけれども、とびうめネットの次の段階として、福岡県民100年健康ライフ構想を福岡県がつくっております。これは、今までの母子手帳、学校健診、特定健診の情報を全部、とびうめネットのデータベースのストレージの中に入れていこうという考え方です。
妊娠、誕生、幼児期のデータ、学童期の学校健診のデータ、各種健診データや、がん検診のデータ、そして、かかりつけ医のデータや介護支援になったときのデータを100年間保存していこうという考え方を現在、持っております。
これが、福岡県民100年健康ライフ構想に向けた活動です。いろいろやっております。データ収集は既に始めておりまして、一部学校健診のデータや母子手帳のデータも入力を開始いたしました。政府が科研費を使って、一部、同じようなことをやっています。
最後、まとめです。とびうめネットはかかりつけ医が入れた情報を入院先の病院で見ることができ、また入院した病院の情報も、かかりつけ医に戻すことが可能なデータです。また、多職種連携で在宅医療を支える仕組みとも思っています。このようなものが全部つながり、福岡県民が医療・介護に疲弊することなく、安心して過ごせる社会が実現できることを理念に、このような活動を続けています。以上です。どうもご清聴ありがとうございました。
〇高橋:原先生、ありがとうございました。最後に原先生に、情報系を主にお願いしました。先生、これはもう戻れないぐらい使われていますか。なしで済むかどうかという話です。地域の連携に、こういうシステムがあるとないとで、どういう差があるかをお聞かせいただけますか。
〇原:先ほど言いました、まだ数が1万弱ですけれども、来月から北九州が、国保に入っているデータ分を、市が同意書を取って組み込んでくれるというので、これで年間2万とか3万人ぐらい、入ってくるのではないかと思います。北九州は今、6万人が要介護認定を受けていて、それを全部含めると北九州市が言っています。そうなると、そういう場所から、ないと困る仕組みになるんだろうと思います。
〇高橋:地域が変わるとか、仕組みが変わるって、困らないと、なかなか変わりません。北九州は日本の大都市の中では、一番人口減少が激しいところです。
模倣というのが、先ほど、午前中の今村先生の講演でもありました。医療と介護がなかなかつながらないという話もありました。こういうものを介して、なんとかならないかなとお話を聞きながら思いました。
〇仲井:ありがとうございます。そのほかに、何かご質問はございませんか。では、まずいったん休憩をします。ありがとうございました。(休憩)
シンポジウム
〇高橋:皆さん、おそろいのようなので、終了時間を目指して、どこまでまとまるか。先ほど、午前中の小山先生のように、非常に明快な結論、メッセージが出されるか分かりませんけれども、なるべく何らかのメッセージを出したいと思います。
地域医療構想はなかなか進まないですが、地域包括ケアも含めて、政治ってどうでしょうか。なんとなく、今日は強く感じました。上西会長に政治面をとりあげたらまずいかを聞いたところ、いいんじゃないかと言われたので、そのへんのことを取り上げたいと思います。
もう1つは、最後にお話ししましたICTも地域包括ケアに取り入れたほうがいいのではないか。特に面白いと思ったのは、原先生がそのへんは非常に進んでいるのですが、白石先生も進んでいるということです。ICTに関しても、いろいろ知見があるのではないかと思います。
政治の話はぐちゃぐちゃになりそうなので、まずは美しくまとまる可能性が高そうなICTの話から。白石先生、先生のところのICTと、地域をどう巻き込むか、実際の診療にどう生かすか、そういう状況から教えてください。
〇白石:基本的には、私もすごい戦略を考えてというよりは、実際に外科医が引き上げ、小児科医が引き上げ、医師が減った時期があって、そのときにしたICT化、もう1つは秘書さんの登用です。
先に秘書さんの話をすると、うちの秘書さんは日本一、世界一、医療秘書チャンピオンシップに行ったら、結構いいところにいくと思います。私がエコーを見ながら、肩こりの人に、肩に注射をしていますよね。秘書さんが注射をしている筋肉の名前も書いてくれているんです。全部理解している。
うちでは医療秘書の算定、1人分しか取れないんです、病床が小さいので。だけど4人いるんです。それは医者に残業させることを思ったら、秘書さんの経費に充てることができるので。
ICTに関しては、医者が足りなくなったときに、うちの病院とサテライトのクリニックが2つあります。そのクリニック2つと、隣の島の1つのクリニックは、レセプト200ぐらい、常勤での医者は要らないんですね。それを効率よく、医者を抜くというか。夜は泊まることにしているのですが、昼間、不在にしたときに、きちんと、こういうふうにできていますよと言えるためにということも含めて。
そのころ、旧通産省の補助金があったので、連携型のものであれば取れるということで、2008年に島の中の医療機関の電子カルテが入りました。県立中央病院のサーバ室に置かせてもらっています。例えばPACSに関して、データがここで見えている状況です。
〇高橋:それと、地域包括ケアという分類で、原先生のところでその話が出てきましたが、住民に対する情報提供は?共有をするという部分で。
〇白石:最初、医療者側の、特に医者の有効利用のためにということで導入したんですけれども、その後、福岡と同じようなかたちで、まめネットというのが地域再生基金で配られました。島根県下の中核病院には、それぞれ中継サーバが置かれました。病院のカルテ自体をつなぐと、いろいろと問題があるということで、それぞれの病院から中継サーバに向かって患者データを配出して、まめネットの登録同意が得られた人のデータはどこの病院にかかっていても、ひも付けされます。クリニックは、そこの中継サーバから見るというかたちが取られました。
そのときに、結局加入者が参加してくれないと駄目です。うちの場合は非常に住民との距離が近いので、病院ボランティアさんが非常に活発に動いてくれているので、まめネットが始まったとき、1カ月ぐらい、病院の会計の横に席を置いて、「あんた、知ってる?こんなのができるようになったけど」みたいなことで、端から声をかけたので、島根県内ではダントツの加入率です。
時々、患者さんが本土の病院に行って、結局、参加同意の登録されていても、向こうの病院が閲覧同意を処理してくれなければならないのですが、当たり前につながると思っていたのに、向こうの病院でできなかったと言って怒っていました。本土側の病院が悪いのですが、という話をするぐらい、当地域では当たり前になっています。
〇高橋:これに遺伝子情報をくっつけると、産業が生まれたりということが、本気で起きそうですね。
〇白石:例えば新型インフルエンザがはやりましたが、うちの島では、たぶん30人目ぐらいまでは、誰から誰にうつったが完全に分かります。誰と誰が仲がいいなとかも、全部分かってしまいます。
〇高橋:ありがとうございました。個人個人によって、答えていただきたいことがあるので、必ず得意なネタを送ります。田中先生、よろしくお願いいたします。
〇田中:ICTは、あまり進んでいるとは言えません。医師会の病院とクリニックの先生のPACSはつながっていて、画像に関しては、全部やりとりができます。唯一、やっているということであれば、病院の診療カルテと訪問看護、あと特養の看護のカルテをID-Linkというアプリを使って運用させています。
それまでは毎日FAXを届けて、こういう状況ですと特養の看護師さんが伝えて、外来が受けてという手間をかけていましたが、それがID-Linkに書き込むことによって解決しました。
うちの特養は、特定行為のできる看護師が複数おりますので、彼らがかなり患者を診ているので、そういった情報で、早く治療を始められるようになりました。
〇高橋:逆に言うと、認知症対応はヒューマンの部分が多いということですね。
〇田中:そうですね。アナログなところが強いかなという気はします。
〇高橋:江角先生も、ICTの話はしていないから、いかがでしょうか。
〇江角:今のところ、うちで活用することはないです。これからやってこうという話はいろいろありますが、話し始めたところで、今のところ、不自由はしていないというか、まだ人間の手でも完璧にやっていないのに、そこに無理やり入れてしまうと、やらない人間が増えてできなくなるのが一番怖くて、あまりほいほい、やろうとは思っていません。
1つ、最近、ある会社と話しているのは、対患者であれば、使う側が今、その機器を使えません。あと20年先だったら、今の60歳が80歳になれば使えるようになるかもしれないですが、とりあえず、今の10年ぐらいで、それを導入するよりは、もっとやらなければいけないことがあるのではないかと言っています。
ただ、テレビは使えるだろう、チャンネルは押せるだろう、テレビはみんな見るだろうと。大体、全世帯にあるので、テレビで元気マーク、顔がニコニコか、普通か困っているかというので、困っていると押したところの情報が瞬時に入ってきて、そこに急行できるようなシステムを1個。どうしても、1人もこぼさないとなると、私も今、暇なときに町じゅうをふらふら歩いて、幸せですかと各戸訪問しているんですけど。不在だったり、そもそも出てこなかったりというケースがあって、ぼれてしまいます。テレビをかぶせれば、100%にはならなくても99%ぐらいにはなるかなとは、最近、その人と話していて思いました。
あとは、いかにそれをお金なしで使えるようにしてくれるか。こちらの負担ではなくということです。どんどん医療費の負担にしないで、社会保険としてやってもらえるようなシステムをつくってくれるといいです。こちらが負担すると、どうしても市民の負担になるし、患者の負担になるので、そうではないシステムで持ってきてほしいというのが、今のところのお話です。
〇高橋:基本的に、白石先生と江角先生だったら同じ範疇にくくれるかと思いましたが、ICTに関しては違うし、やり方はいろいろあると分かりました。室谷先生はいかがですか。
〇室谷:回復期の病院なので、電子カルテは使っているのですけれども、それよりも私たちは、どちらかというとICTを患者さんの評価というか、センサーのほうに、できるだけやりたいと思っています。
認知症病棟の場合もそうだと思いますが、ベッドから離れたら、あるいはマットに足を落としたらセンサーが鳴るというので、できるだけ把握するようにしています。床に、赤ちゃんがよく使うフロアマットのようなものを敷き詰めて、もし転んでも大丈夫な環境は作っているんですけれども、その前に、そもそもナースコールが押せない方々が回復期に入院している事実から考えて、眠りのモニターが出てきていて、私たちは役に立つと思っています。
なぜかというと、尿意で起きたときに、目覚めている段階でマークがつくので、その方の活動性がどういうものなのか、眠りがどのくらい浅いのかを見れば、例えばリハビリの強度が弱かったのか、夜に起きられるということは、それだけ元気が余っているということなので、負荷活動をもっと上げられるのではないかといったことにも使えそうです。
あとは、ケアハウスなどに、ICTなどを置いていくことで、その方が危なくなってきたのかどうか、見てさしあげられるのではないかということです。もう少し、回復期が在宅などに関してできることを増やして、ケアプランの中に、もう少しこういうことができるのではないか、夜のトイレは危なくなってきているので介入すべきではないかということを入れられれば、患者さん、ご利用者さんにも、なぜリハビリをしなければならないのか事前にお伝えできます。転びそうになっている、危ないから、一緒にやりましょうといったご相談ができるのではないかと思い、活動性の把握をするためにICTを使うことがもう少しできたらと思っています。
〇高橋:人工知能で、コンピューターが目を持つようになっています。尿意や便意をはかることも、もうすぐ可能になりそうです。そういうものを使って、適切なトイレ誘導ができます。センサーで常時観察ができるようにも、なりそうです。特養の夜勤でも使うことを目指しています。
その実験で分かったことの1つとして、がらがらと開ける音で目が覚め、ピンポンと押すと、周りに波紋のように広がっていき、うるさくなります。トイレ誘導をやらないで、うまくいった病棟は本当に静かになって、暇になります。ICTを使うことによって、ケアの在り方は大きく変わる可能性があります。では、さらに原先生。
〇原:今、福岡県医師会としての取り組みをお話しさせていただきましたが、個人的な病院では、ナースコールやカメラがベッドの上に付いていて、その画像がスマホに飛ぶものがあります。それを今、採用して、歩数計でどれだけ減ったかを実験したところ、歩数が15%ぐらい減ったようです。夜勤のときも、終わったあと、あまり疲れなくなったという人が多いので、1病棟入れたのですが、それを全病棟に入れてみようかと思っています。
あとは、先ほど言ったように、500床分ぐらい、特養や有料老人ホームやグループホームがあるのですが、そこの患者さんの診療は私が1人で8割ぐらいをしています。全部、クラウド電子カルテでやっていて、今も持ってきています。今、電話があっても、その方の情報が大体分かります。そして今、入力することもできます。電子カルテも、クラウドになっていくのではないかという気がします。
〇高橋:ありがとうございました。これから先、国としても、そういうものを活用して、効率を上げる。そのときの最大のポイントは、先ほど言いましたように、1人で2ユニットしか見られなかったのが3ユニット見られることによって、人件費を減らし、それを原資として昇給だとか、再投資をする方向性だと思います。こういうものをうまく組み込んだ事例がでてきました。制度に乗って進むのではないかと思います。
〇白石:今の話で、ザ・ヒューマンな感じのときに、ICTの利用というか、実際、これからということも含めて、今の話を聞かれて、どんな感じですか。
〇田中:ICTを使っていないわけではなくて、先ほど、室谷ゆかり先生がお話されたみたいに、うちも起き上がったら鳴るベッドやセンサーマットは、ほかの病院の3倍ぐらいは使っていると思います。
あと、院内を自由に歩いていただくので、顔認証をかけていて、リスクのある方が病棟から出ていたときに、受付でポンと鳴るようにはしています。そういった対応で院内の外も院内として扱って、リハビリに行けるようにしています。
あとは、基本的には認知症の人には使わないのですが、うちでは認知症のある人にもロボットリハのようなICTを使って身体機能を上げて、転倒を防いでいます。
〇高橋:さて、午前中のセッションで本当はやったほうがよかったかもしれませんが、聞いていて、政治の覚悟が必要だという話です。地域包括ケアといっても、現場だけでは問題があると思います。
一例としては、田中先生の縛らないケアに対して、周辺からのサポートがあるのか。白石先生の、例えばICTの活用に関して、全部自腹でやったらどうなるのか。行政や政治の部分を感じているのか、感じていないのか、こうあってほしいということを聞かせてください。
〇白石:政治との関わりからいうと、島根県の中で、一番誰も医者が行きたくない場所で、ここで、もし人を集められたら、どこでもできるのではないかと、奇跡へのチャレンジを始めました。それが功を奏してというか、1つは、私は34歳のときに院長になれと言われて、嫌ですと3回断りましたが、当時の町長と島根県立中央病院の院長、中川先生がやってきて、私を取り囲んで、「わしらが支えるから、やれ」と言われて、「はい」と言うしかありませんでした。それで、「支えると言いましたよね、言いましたよね」と言って、サーバ室を空けてくださいよと言うことができてよかったです。
2008年ごろから、そういうことをいろいろとやっていたので、補助金が結構ありました。とにかく新しいもの好きなので、こんなことをやりませんか、というのには全部「はい」と手を挙げて、それにのっかってやっております。使えているものも、使えていないものもありますが、フィードバックをしながら導入しています。
小さな町で今、何が起こっているかというと、私は19年院長をしていますが、町長は5人替わっています。結局、町長のなり手がいません。夢がかたって政治というよりは、誰もいないので、総務課長が町長をやろうかという感じです。町長は1期ずつしかやらないので、この島の、この町の20年後の医療とかも、とても語れません。今の町長が、やっと3期目をやってくれているので、少し話ができるかというところです。
うちは築35年ですが、病院の建て直しの話は10年ぐらい前から計画を立てなければいけないので、これまでそんな話は全然できませんでした。今は、現実です。町会議員の問題は結構クローズアップされて、どこでもなり手がないという話があります。うちでも、選挙はほぼありません。今度、選挙がありますが、この人は駄目でしょうという人が出ます。どうしますかというような状況です。
〇高橋:さっきの16台のエコーが気になりましたが、それも補助金ですか。あるいは自前ですか。
〇白石:普通に過疎債のようなもので買っているものもあれば、在宅系の支援の基金が数年前に600万、700万円配られたときに買ったものもあります。いろいろです。
〇仲井:ありがとうございました。田中先生、お願いします。
〇田中:基本的には、あまり自慢できることではありませんが、行政、例えば首長さんは替わられるので、封建的な群馬県は、この人に付いて、別の人になったときに、とても敵対視される地域です。首相が何人も出ているのですが、孫子の代まで恨むぞという地域ですので、できるだけ政治の世界とは離れて活動しようとしてきました。
さっき、江角先生も雑談で話されていましたが、市民の方、町の方が、あそこの病院はどうしても必要だから、つぶしてもらったら困るんだというような住民が味方に付く活動をしよう、行政や政治家には頼らずにやろうと決めてやってきました。
これから先は、それが効くかどうか分かりませんが、そういったかたちで、とにかく実直に、粛々とやるのが私の方針です。
町の活動や市の活動で、100%の国庫補助で市が何かを行う、例えば認知症の施策でもあまり動いていただけず、日参して頭を下げて、……なら、やってやろうかというのを、もう20年ぐらい、ずっと続けています。
昔だったら、配食サービス、今でいうと障害児の活動や就労は、本当にお願いして、お願いして、お願いして、モデル事業を持っていって、持っていって、戻されて、戻されて、持っていって、しつこいから、まあ、しょうがないかみたいなことを、ずっとやっています。
〇高橋:政治家が、内田病院は強烈だと。
〇田中:実際に、そういった活動をしていると、今度は地区の国会議員の方たちがどこかで知って、あるとき、ぜひ応援させてくださいというので、いろいろな方においでいただきます。応援していただけるのであれば、ぜひお願いしますというかたちでは、お付き合いがあります。こちらから、事務所を訪れてということは、しておりません。
〇仲井:江角先生、いかがですか。
〇江角:私も一緒です。最初は議会の反対、市民の反対から始まった病院です。やれるものならやってみろというので始まった病院ですので、皆さん、つぶれると思ったんです。私が音を上げて辞めて、もしくは赤字が結局改善しなかっただろうと言われて、やめることになるだろうという想定の中で、私も先生と一緒で、粛々と目の前の人を助け続けることを職員と共有してやってきました。だんだん市民の評判がよくなって、応援しようと変わっていきました。
それは、職員が一生懸命やっていたのはもちろんそうですが、最初は強制していました。自分たちのやっている医療に自信を持ち始めて、自発的になりました。自分の親は絶対に入院させたくないという病院でしたが、自分の仲間をスタッフに引き入れたいという職員が増え、自分の親は、必ずここで最後まで診たいというふうになってからは、周りの目も変わって、政治の目も変わりました。結局、政治は住民の心の反映なので。
先ほども言いましたが、学生がかなり地域貢献をしています。病院から遠いところの自治会長、住民は反対するのですが、うちから遠いところのほうが人口が多いので、多数決でつぶされるはずの病院です。それが、学生がその地区のお祭りに行って、私ももちろん行きますが、なんやかんややっていくと、3年目、4年目になると、学生を呼びたいと言われるようになります。学生に一晩酒を飲ませて、学生にありがとうと言った次の日に賛成に回るなど、私の見えないところでも学生は大活躍です。それをもっと学生にも味わわせて、帰ってくる場所になれればというのがあります。
〇白石:学生って、どういう学生ですか。
〇江角:先ほど申し上げた、特に中心でやっているのは医学生です。地域医療実習で、1カ月来る20名の学生プラス、うちは東京から高校生を年間10名か20名。私の母校ですが、高校生も同じような効果があります。それも全部、医学部志望で、うちの教育システムを受けると、7割5分の合格率です。あとは中学生は地元の子ですが、外から来る、三重大学のほかの学部の学生とか、ほかの大学の学生、専門学生、リハビリの学生などです。150人中、医療系の学生が大体70~60人ぐらいです。
彼らが地域にわーっと飛びます。1カ月、2カ月実習していて、アフター5は地域の祭りなどがあれば行きます。最初は自分からでしたが、最近では手伝ってと言われて、重宝されています。その学生を集めてくれる病院は素晴らしいということになるので、学生がいることによって、彼らの生きがいにもなり、戻ってきてくれたらありがたいということを吹き込んで、それを感じて学生たちは旅立つので、使いものになって戻ってくる率が高いです。
〇小山(秀):今日、LTAC最後のシンポジウムなので、これはどうしてもまとめてもらわないとということで、役員の1人としての質問です。私どもの大学では、地域が病院を支えているのか、病院が地域を支えているのかというディベートをしてもらいます。これは非常に大事なことです。地域も病院も、支えないと駄目かなという結論になります。当たり前のことです。
つまり、病院が地域を支えたり、地域が病院を支えたりすることは必要・必然なんです。だから、今日、原先生は何も言われなかったけれど、仲井先生も石川賀代理事長も、地域を支えることに必死。なぜならば、地域を支えないと、自分たちがつぶれちゃうからです。そうでしょう? そのことをよく知っているんです。だけど、みんな聞いたことがないから、驚いている。違います。大なり小なり、日本中の病院が地域を支えています。
江角先生はかぶきの格好をしているから、私は江角先生をかぶき者と言っています。やっぱりいいんですよ、「幸せですね」とみんなのところを回って、地域住民が幸せでないと、病院経営はできません。逆もそうです。だから、必要・必然です。珍しがって議論することではないというのが1点です。
もう1つ、日本のAI、ICTとか、いろいろなことを言っていますが、最大の日本の問題は無診察診療です。つまり、医師が患者と会わない限りは、この国では医療は成り立たないという定義です。なんで、そんなことを言うんでしょうか。
今度の診療報酬で、初めて遠隔診療が認められました。遠隔診療の次は、遠隔判断でいいじゃないですか。だって、判断医は、1日中部屋にいて、下手すると10時間ぐらい、ずっと診断しているだけです。あんなもので、いいじゃないですか。このぐらいの部屋に、日本中の放射線判断センターをつくったらいいじゃないですか。病院にいる必要がないです。彼らは患者さんを診ないのだから。
もう1つ言うなら、診断を間違えるわけです。CTだって、MRIだって、お医者さんは間違えるわけでしょう。AIにやってもらったらいいじゃないですか。だから、次の診療報酬は、必ずAIに放射線診断料を付けてほしいんですよ、1項目でも。
つまり、IoTとかAIとか言っているけど、無診察診療は駄目で、遠隔診療は駄目だと日本で言い続けてきたことが、この日本で、AIもIoTも、医療が置いていかれた最大の原因だと思っているんです。違うんですか、高橋先生。
〇高橋:私の基本スタンスは、便利になるとか、少しよくなるというのは絶対普及しなくて、人が減らせるとか、もうかるというのがつかないと、生産性を確実に上げられる仕組みを作ることにつながりません。
ですから、さっき言ったセンサーがあった場合、人が減らせるという担保があって、初めて普及するので、18年の介護報酬改定のときに、0.1人分でありますけれども、センサーを入れると人員を減らせますと。それを、3人を2人に減らせるレベルまで持っていくと普及すると。そのような実になるICT化は絶対に必要です。そうしないと普及しないし、補助金がなくなった瞬間に続かなくなります。もうかるというか、ある程度、事業ができるかたちにしないと絶対に駄目です。
民間を活用して、クラウドで、そこでもうかりながら、いろいろな情報が行き交うことができないといけないのではないかというのが、今の議論の中心です。
〇江角:私の名刺に、「町と恋をしよう」と一番右側に書いてあります。それが、まさに最初に言われていたことで、病院は地域のためにあるのか、地域は病院を支えるのかという議論は、たぶん主語が病院だと、地域だと。
それぞれがお互いのためにやり合っているという恋愛関係になれば、相乗効果になっていきます。主語において、病院が病院のためにやっていますといったら、その病院は絶対につぶれます。でも、実際、病院を守れないと、地域は守れないでしょうという経営者は、結構います。それは、そもそも病院は、人を幸せにするためのものだよという理念と、そのために、まず病院の経営をしなければいけないというのは、紙一重だけれども、全然違います。なぜなら、それで結局、金になる人間しか診なくなりますから。
実際、うちの地域にある病院で、それで失敗している病院があります。相対的に、私たちの病院の評判が上がってきました。最初はそれでいいけれども、長い目で見ると、病院は病院のために、まずは病院の経営をと言い始めると、住民は絶対に、おかしいとなって、最後には信頼しなくなります。スタッフの質が悪くなります。
なので、それは絶対に病院は地域にという理念です。住民を助けるため、住民に要らないと言われたら病院をなくすぐらいの覚悟で、病院に必要なことを、どうしたらいいかを考えようというほうに、プラスの方向に持っていかないと、どんどんネガティブになります。
それをやると、住民からもありがたいと言って、違うかたち、お金ではないかたちで、信頼とか、そういうものでいい循環になるのではないかと思います。先生方と比べて、私は経験年数が3年半なので、圧倒的に若いです。だから、本当にこれが持続可能なものか分からないですが、今のところ、そう思っています。
〇高橋:室谷先生は、自分のやりたいことと経営のバランスを取って、10年ぐらい、しぶとく生き続けてきているけれども、そのへんのバランス感覚はどうですか。それをやらないと続かないし、一番すごいのは、江角先生ほど饒舌ではなくて、訥々と話しているけれど、やっていることは本当にすごいと思います。自分の夢と経営のバランスを取っていて、それが広がると、地域包括ケアも現実的な話になる感じがしますが、そのへんはどうですか。
〇室谷:皆さん、おっしゃったように、患者さんがよくなる、それを見て、自分たちも幸せになるということのために、やりたいことをやっていて、それがいい質のものであれば選んでくださるから、経営ができる。
〇高橋:でも、選ぶときに、そのへんは経営的にバランスを取るのか、とりあえずやってみようなのか、最初はどちらですか。
〇室谷:とりあえず、やってみようで始めて、失敗をすることも多々あるのは認めます。ただ、正直、回復期の病院の前に、私は本当は看取りの場所をつくりたかったのです。訪問診療をしていて、本当に一緒にお酒を飲んで亡くなるという、先生が出されたスライドみたいなことをやりたくて始めました。でも、そのためには、自分たちの持っているエネルギーを、その患者さんに出せるだけ出すという意気込みとか、心がまず育っていないと、そういうことには絶対没頭できません。
回復期の病院のいいところは、必ず患者さんはよくなるし、申し訳ないですが、意外とシンプルというか、やった結果の分だけ患者さんが返してくださる。そういった場で、まずスタッフを育てて、掛け値なしに、その人のために頑張る場をつくってからじゃないと、最期のお看取りをするような情熱を持った人は育たないのではないかということで、回復期から始めたつもりでした。
変な言い方ですが、私たちの北陸は意外と省エネというか、エネルギーを温存しないと生きていけない地区です。全部使い切ると、冬の寒さで死ぬものですから、意外とスタッフは、このへんまでは頑張るけれど、最後の20%は取っておくという地域性があります。逆に言うと、20%は取っておいてもいいけれど、何ができるの? ということを、もう1回、スタッフと考える仕組みにしなければなりません。
九州や高知に行くと、考え方が豪快です。最後まで頑張るとか、いっちゃってみたいな雰囲気ですが、そういうのは富山には絶対にありません。そこは、その地域性を分かった上で、手堅くどう頑張るかというところや、さっき皆さんがおっしゃったように、自分も幸せになる、みんなも幸せになる、それが一番いいことだというところにいくと、必ず経営はついてくるというところは感じています。
でも、経営を成り立たせるために、もう1回アイデアを練るというのは、いつもやらなければいけない作業です。やりたいことはあるけれども、必ず1、2回はお金がないというところにぶつかるので、どうやってお金を生み出すかという作業を繰り返したら黒字になるのが今の常です。楽ではないと確かに思います。スタッフにも給料を出さなければいけないしというところはありますが、途中から、お金のために頑張っているのか、何をやっているのか分からないときもよくあります。
ちょっと話は戻りますけれども、住民の方にも、恵まれたサービスはないということを、きちんと行政からも言っていかないと、隠していいことは何もないと思います。地域包括支援のものは、国から各地域に下りてから、お金が決まるようになってから、富山市は1回だけお金を下げたときがありました。下げるかもしれないというアンケートを出したときがありました。
そのとき、初めて住民の方も介護職も病院も集まって、どうしたらいいか話し合いをしました。そのとき、介護の施設は借りていいの? 病院の会議室を借りていいの? そんなの知らなかったというのが一般の高齢者から出ました。危機的な感じが迫ってきてから、急に皆さん、現実のものとしてどうするのかという話し合いが始まりました。その後、富山市はやっぱり払いますと言って10割に戻したら、一気にその話はなくなりました。
やっぱり今置かれている状況を事実だけ、何も感情を入れずに払えませんなら払えませんということを、ちゃんと発信していかないと、考える場を失うし、助け合いの気持ちも失います。
今、私たちが患者さんから言われて一番つらいことは、「人がいないんだったら雇えば?」という言い方をされることです。「雇えばって、いないです。すいません」と謝るのも変な話ですが、本当に人がいると思っていらっしゃる。地域性は違うでしょうけれども、全国民に対して「いません」ということを発信してから、どうするのかという話をしたいと思っています。
〇高橋:突然ですが、仲井先生は、非常に似た感じです。
〇仲井:さっき、ちょっと言いましたけれども、地域と病院のことで言うと、地域をよくしようと思うと、われわれは本当は再入院を予防しないといけないし、病気にならないようにしないといけません。そうすると、われわれはやることが少なくなります。例えば、私は胃がんが専門で、がんの手術をしていました。ピロリを除菌しまくったので、当然、胃がんの患者が少なくなりました。同じことが、いろいろなことで起こってきます。肝臓がんもそうだし、あらゆることがそうなってきて、外来でやることは増えるけれども、入院でやることは減ります。
そうすると、設備としての病院は、何十年か先に、本当に必要な急性期の医療と回復期の医療ぐらいしか残らないのではないかと思うことがあります。公と民の関係がありますが、公とか民とか、きっと言っていられないでしょう。お互いに、一緒にやらなければ、たぶんなかなかそういう状況になると、うまくいかないでしょう。それは、田舎のほうが早く来て、都会は遅くなります。だから、診療報酬上でそれを評価しようとするときに、とても困ります。
それが今朝のシンポジウムにも結び付くし、そうしていると地域医療構想も、結局、病床数、病床数と言っているけれども、そもそも医療の在り方が変わって、全然違う未来が見えてきます。これは非常に頭を悩ませるところで、こういうときこそ頑張るのがいいんですよね。
〇田中:私たちもデイサービスやデイケアに来る日を減らそうということで、やっています。それはなぜかというと、その人の自立を支援するために、デイとかデイサービスに来ないで生活できるには、どうしたらいいかと考えたときに、田舎なので、2カ月で4万ぐらいの年金で生活されている方が非常に多くて、使い控えもあるんですね。ただ、そのままにしていると悪くなってしまうので、デイではない日にわざわざ迎えにいって、有償ボランティアとか無償ボランティアのかたちで院内のお掃除をしたり、車いすをお掃除していただいたり、見守りが必要なレベルですけれども、B型就労の子どもたちと一緒に働いてもらったりしています。
でも、そのことは決して悪いことではないと考えています。なぜかというと、将来の社会保障費が下がる可能性があると考えるからです。今、私が若いスタッフに言っているのは、「今、あなたたちがやっていることは未来の自分に返ってくることだから、一生懸命、介護予防しよう、病気の予防をしよう」という話をしています。
最終的に、本当に病院として生きていくかどうかということは、その規模を地域ごとに考えなければいけないと思っていますが、選ばれ続ければ、病院としてなり得る病床数は残るでしょう。一方で、若い人たちが残って働きやすくて、暮らしやすくて、子育てしようと思えるような安心な環境をどうつくれるかというと、今から始めなければ間に合わないと考えています。
そのような意気込みで、トップが、介護ではないところにお金をつぎ込んでいくというか、病気ではないところにお金をつぎ込んでいきながら、将来の働きやすさ、生活しやすさ、老いやすさのようなものを考えていかなければ、地域は消滅してしまって、消滅したところで病院は経営できないというのが、今の私の若いスタッフに向けたメッセージです。
〇高橋:そろそろ締めないといけないから、江角先生、昨日話していた教育の話を最後にちょっとしてください。一番足りないものは、医者の教育でという話です。
〇原:その前に、一言いいですか。先ほどの政治の話ですけれども、福岡県は福岡県庁の担当職員と年に3、4回、飲み会をやります。それは昔からの伝統で、お互い、ツーカーで、県庁と医師会が変なことになることは、まずないというのがあります。
この間、福岡県知事選に麻生太郎が厚労省の若い人を出してきて、県民が怒って、特に県医師会長が激怒して、現職の小川さんを押すぞということで、120万対30万ぐらいだったのです。
〇高橋:福岡は今日の話で、ICTにものすごく集中している。政治は関係ないというスタイルもあるし、ノンポリから今のような話まで、やっぱりいろいろなスタイルがあるけれども、結局、思いをどう実現するかという話です。
〇江角:私は今、市内の全中学校6校で毎年2回、1年生、2年生と、あと県内の大学3校で毎年1回ずつ、市内の高校1校と、県内の高校1校と、あと私の母校1校で年1回ずつ、計20回ほど、中高大で、専門学校も含めて30回ほど授業をしています。全部、教えることは一緒です。教職員に対しても授業をしているのですが、「君たちは何のために生きているのだ」というテーマで考えてもらいます。
何が言いたいかというと、時代が変わろうが、国が変わろうが、人が存続し続けるためには、人間は人間のために生きていないと、人は必ず滅亡します。そもそも、お父さんとお母さんから生まれてきて、自分のことだけやっていたら、人類が滅亡するのは当たり前です。人間のことだけ考えていても、取り巻く環境、地球、地球の環境からSDGsの発想が生まれたり、人間を助けようとすることによって、周りの環境問題も全部やらなければいけないという発想に至ります。
そもそもの大前提、人間が人のために生きるというのは、国が違っても、時代が違っても、人類が発祥してから2万年、ずっと一緒です。これは変わらない事実です。ほかのものは正解が変わるけれども、これが変わってしまうと人類は死にます。滅亡していいなら、それでいいです。滅亡するということは、家族を不幸にしたいのであれば、それでいいです。
誰も、自分が不幸になりたいと思って生まれてきていません。家族を不幸にしたいと思って、人生を生きていません。
その中で、「一番助けたい人は誰ですか」という話をすると、みんな、家族とか地域とか親戚の人、近所のおばちゃんと言う。そのためにどうするかというと、大学に行き、専門学校に行き、都会へ出て社会経験をして、自分たちの親を助けるために戻ってくるだけの技術、能力を持ってかえってくることが、結局、君たちの家族のためです。
最後の看取りの写真を出して、「家族がいないと無理なんだよ。君たちの父ちゃん、母ちゃんが最後まで家でいたいと言ったときに、君たちがいないと、俺らだけじゃ無理なんだ」と言います。
できるようになるなら、できるような方策を持ってかえってきてほしい。そのために勉強しにいくんだということを、常に言っています。アンケートを見ると、「そんなことを今まで言われたことがありません」というのが、ほとんど10割です。
そんなことを言っても、自分の人生は自分のためだと、殴り書きをしてくる2%ぐらいの学生以外は、本当だと気付くようです。教職員も、中高の教職員は、今までそんなことを教えてもらったことがありません。私は普通だと思っているけれども、そうではないということです。私が学校で教えた人は気付いても、先生が違う授業で「違うよ」と言えば逆が生まれるし、家に帰れば、親が田舎から都会に子どもを避難させようとします。
それがなくなり、もっと自分たちが誰のために生きているかを明確にするべきだと思います。それは世界でもいいですが、世界を設定しても、まずは自分の家族に戻らざるを得ません。どこに設定しようが、どうせそこになります。
そういう話を教育でしています。結局、今、大人たちがしている教育は、フォークかナイフかスプーンか、どれを選ぶかということです。そもそも、君は何のために生まれてきたのか。寿司を食べるか、スープを飲むかで、持つ食器は違います。寿司を食べるときは箸と自動的に決まります。箸とかスプーンとかで、迷っている必要はありません。寿司を食べるのか、スープを飲むのか、時間のある学生時代に、人生最後に何をしたいのかを決めることに重点を置いてほしいのです。
〇高橋:最初はそんなことは考えていなかったけれども、小山先生のところに戻さなければなりません。今の地域包括ケアに足りないのは、思いではないでしょうか。原点が欠けているということを、今日聞いて、すごく感じました。それで、地域を守るといっても、行政的にうんぬんではなく、そこの住民に対して守らなければならないものは何かというのがなければ、地域は消滅します。
確率論的には、都市に行ったほうがいいかなと感じますが、今日の話を聞いて、それぞれやりたいことがあったら、どこだっていいんじゃないかということを思いました。そこの原点が、一番大切ではないかと感じました。
〇仲井:皆さん、どうもありがとうございました。今日はとても濃い1日ではなかったでしょうか。最後のシンポジウムで、思いの丈を言えていないでしょうか。もしかしたら、まだ足りないかもしれません。またそれは今度の機会に。皆さん、ありがとうございました。
〇森:以上をもちまして、シンポジウム2「若手経営者が語るLTAC(地域包括ケア)的病院経営」を終了いたします。高橋泰先生、仲井培雄先生、白石吉彦先生、田中志子先生、江角悠太先生、室谷ゆかり先生、原祐一先生、ありがとうございました。
(了)
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