日本長期急性期病床(LTAC)研究会 第4回研究大会 開催報告

シンポジウムⅡ



「医療実践における“パラダイムシフト”(新思想体系)
~チーム医療を深化させる組織戦略~」

 

座長:小山秀夫(兵庫県立大学大学院経営研究科教授)

シンポジスト:栗原正紀(長崎リハビリテーション病院院長)

シンポジスト:谷口孝江(堺市立総合医療センター看護局長)

シンポジスト:田中克巳(昭和大学病院薬局課長)


〇小山:本研究大会の最後となったが、良いシンポジウムになればと思っている。有賀大会長といろいろとお話をして、シンポジウムⅡのタイトルは「回復期と救急とか、いろいろなものをつなぐのを取り上げよう」となり、救急医療とリハビリテーションをカバーする栗原先生にお願いすることになり、救急に一生懸命な看護師として、谷口先生にお願いすることになった。さらに薬剤師の立場から田中先生にご発言していただく。シンポジウムのタイトルと中身がどうなるか分からないので、栗原先生にまず話していただいて、少し考えていく。栗原先生、よろしくお願いします。

〇栗原:皆さんこんにちは。
  わたしの話は総論的な内容になってしまうが、今日整理させていただきたいのは、医療の中に生活という視点をどう組み込んでいくかということだと思う。
  地域医療ではかつて、「生活に出会えるか」という命題が言われていたが、今後は、生活に出会うのは当たり前で、地域を支えることまでを含む視野が求められ、その根幹は多職種チーム医療だというのがわたしの結論だ。
  従来、入院医療では、言うまでもなく絶対安静、絶飲食下で治療をしていた。家族の側も、入院したら寝巻きに着替えて横になるのが当たり前。点滴をしてくれて、検査をたくさんしてくれるのが良い医師だという視点があった。
  今までの地域医療の有り様をもう一度整理すると、これから超高齢社会になるわけだから、現実問題は、医療に生活をどう組み込んでいくかが命題になるとわたしは思っている。
  その視点から問題なのは、今までの医療が社会生活から隔絶された世界で治療を行ったり入院したりしてきたことで、「医療=生活」にはなっていないことだ。「入院生活」という言葉はあっても、本当にそれが生活と言えるのか。
  その結果、安静臥床→廃用→寝たきりになるというプロセスがあった。超高齢社会での現実は、「寝たきり患者が増えてなかなか治らない」「入院が長期化する」。寝たきりのお年寄りも増えてくるし、医療そのものが高度に進歩してきたので、医師・看護師は限界をきたしているということだと思う。
  長崎では救急医療の実態調査を長年実施しており、典型的な疾患を経時的に追いかけていくと、かつては脳卒中が1番上だったが、最近になって肺炎が急速に増えてきた。肺炎の患者さんの年齢構造は85%以上が70歳以上。大腿骨頸部等の骨折も増えている。
  高齢者の緊急搬送がものすごく増えていることはどこでも知られているが、中身が非常に問題であると思う。肺炎が増えた場合、特に専門の病院でなく、いろいろな病院に分散して診られることになる。その結果、病院による専門的な治療がどうも中途半端になってしまう。肺炎では抗生剤の使用に対する戦略的なガイドラインはあるが、生活の視点がないがために入院が長期化して寝たきりになり、在宅復帰できないという大きな問題を地域医療は抱えていると思っている。
  教科書的過ぎて恐縮だが、年を取るとだんだんと潜在的な低栄養状態になると同時に活動範囲は狭くなる。何らかの原因で入院すると、足腰が弱って転倒したり、膝や腰が痛くなったり、それを元に廃用症候群になり、その結果、寝たきりになるというプロセスがある。
  高齢者にはこうした潜在的な可能性を前提に治療を提供する必要があるとわたしは思う。整理をすると、高齢者は入院により簡単に廃用になり、入院が長期化して寝たきりになる。そして廃用症候群、低栄養状態、誤嚥性肺炎などの合併症が問題になる。
  つまり、高度に進歩した臓器別の治療が生活につながらないということだ。
  そのため「地域医療とは何ぞや」となる。さらに、医師や看護師の許容量をはるかに超えた医療の有り様になる。それぞれの対策を考えると、医療の機能分化・連携によって患者さんの生活につなぐことが一つのラインだと思うし、医師や看護師の許容量を超えたのなら、さらにたくさんの専門職で医療を支えることが考えられる。
  そういう意味で、多職種チーム医療の本質はここにあってなおかつ機能分化・連携の基盤にならないと、地域医療そのものが患者さんの生活にしっかりとつながらない。そこを組織としてどのように捉えるかは、ある意味組織の運命に関わると捉えている。
  そういう意味で、地域医療に患者さんの生活を取り入れる視点で多職種チーム医療や、分化・連携に基づく地域完結型の医療提供体制が作られ、地域医療構想に反映されるのが絶対条件だと思うが、患者さんの生活が見えない地域医療がまだたくさんあるのではないか。
  患者さんの生活を視野に入れた具体的な展開として、廃用症候群に対しては、言うまでもなく超早期からのリハビリテーションの継続的な提供と栄養管理だ。一概にすべてとは言わないが、救急搬送された患者さんが一つの流れを経て生活復帰に向かう構造を整理した。
  何らかの形で患者さんに障害が残ると、生活の質を向上させるための障害との戦いと、「生活の構築(再建)」が課題になる。「急性期」と「回復期」に続き「在宅・施設」という段階に至るが、それぞれの段階でチームの目標が違ってくるので、チームの運営の仕方も全く異なるだろう。ただ、一貫して求められるのは、リハビリテーションと栄養管理である。これらに生活の視点を入れる観点で整理すると、救急病院だろうと急性期病院だろうと、「生活の準備」の視点を入れていただきたい。次の回復期では、あくまでも「生活を再建」する場だという視点を軸に考えてほしい。「生活期」のチームには、「生活の維持・向上」がテーマになる。このような流れで地域完結型の医療提供体制が育まれれば安全・安心で自立した地域生活の継続と、地域社会への参加が見えてくる。
  この流れがしっかりしていることそのものが地域医療連携を評価する上で重要だと思うが、ここを評価するのは難しいと言われている。
  在宅医療に関して言えば、ご自宅や施設で、何らかの形で継続的な治療を行うことも重要だが、先ほど申し上げたように、それぞれの段階で生活を視野に入れるという意味では、獲得された生活機能と能力の維持向上の視点を欠いたまま在宅で医療が継続されるのでは中途半端だ。在宅で寝たきりの患者さんを作り出すような構造は、地域医療としてはいかがなものかという考えである。
  急性期だろうと回復期だろうと生活期だろうと、最終的な目標は、住み慣れた所で安全・安心な地域生活を患者さんが続けられることにあると思う。これを共有できてこそ、質の高い地域医療連携がなされる。今後重要となるのは、退院支援と言われている。
  そしてチーム医療。多くの専門職が一緒に働くことを、どうも「連携、連携」と呼んでいるようだが、わたしは「協働」という日本語を使いたい。「連携」は組織と組織とが手をつなぐこと。多くの専門職が一つの目標に向かって従事する場合には「協働」。当然ながら専門職の知識・技術の向上が必須だが、今の段階では、チーム医療の基本は看護にあると思っている。
  救急医療では救急医療チーム。さらには回復期のチーム。それぞれが連携して一つの地域の中でのサイクルがあるが、先ほど申し上げたように、救急や回復期医療でチームの有り様は全く異なる。
  急性期、特に高度急性期などでは臓器別の専門家チームが医師の方針の下で集中的に治療をするが、それだけでは生活を構築するステージには入ってこない。そのため、その周りをしっかりと取り囲むようなリハビリテーション・ケアチームがあって然るべきではないかと思う。専門特化型のチームと総合包括的なチーム。そして急性期の臓器別の専門家チームがなくなった形こそが、急性期後のチームの有り様だと思う。これこそが患者さんの生活を視野に入れたチームの有り様だ。
  例えば看護を見ると、急性期では診療補助のファクターがとても重要視され、今後はこれがどんどん大きくなり、「療養上の世話」つまり「ケア」の部分がどんどん縮小される傾向にある。ところが急性期後はその逆。「療養上の世話」のウエートが大きくなり、診療補助が小さくなる。診療補助イコールリスク管理。そして「療養上の世話」というよりも「自立支援」という視点で関わる。ここを互いに知っていることが重要だ。急性期の看護と、回復期やそれ以降の看護同士がそれぞれの役割や体制を知らない構造であるのはとても残念だ。
  ちなみにわたしどもの病院の組織図では縦割りを完全に廃止し、それぞれの専門職を統括した「臨床部」として運営しているが、良いチーム医療を具現化するには、ものすごく難しい要素がたくさんある。歯科衛生士も病棟に入れていて、少なくとも口の中はとてもきれいである。
  医療が生活に出合うだけでなく、医療がしっかりと地域生活につながり、支える。そのための構造は、一つの本流としての表現だが、救急医療や急性期医療から慢性期、その構造が地域包括ケアをしっかりと支える。そのためには、在宅医療に関わる方々がしっかりとした生活を視野に入れて関わっていくことが重要だと思う。
  一方、わたしども日本リハビリテーション病院・施設協会では、地域により密着した医療の表現として「在宅支援リハビリテーションセンター」を提案している。そこでは、リハビリテーションの視点でかかりつけ医や地域包括ケア支援センターを支援する。さらに、地域そのものを支えていく構造を表現するという提案だ。
  医療の中で生活の要素としてのリハビリテーションの視点こそが、これからは重要になるのではないか。そのためには質の高いチーム医療の表現が今後、求められるのではないかと思う。
  最後に、急性期、回復期、慢性期という流れで今、地域医療構想が議論されているが、先ほど申し上げたようにリハビリの視点、生活の視点をここに入れると「地域包括ケア病棟」がどうしても中途半端になってしまう。この辺りを今後、どう表現していただけるかが課題だ。そして、急性期、回復期の終了の条件がどうも中途半端だと思う。これらが今後、しっかりとした地域医療を表現していく上で課題になるだろうと思う。

〇小山:ありがとうございました。次に谷口看護局長お願いします。

〇谷口:堺市立総合医療センターの谷口です。
  当院は、救命救急センターを併設した「堺市立総合医療センター」として、新築移転に伴い昨年7月に誕生した。それまでは「地方独立行政法人市立堺病院」だった。
  今年7月に開院1年を迎えたが、まだまだいろいろな変化に戸惑う毎日で、ご報告の中身に充実してない部分もあるかもしれない。
  堺市と言っても関東地方にはご存じの方も少ないと思うが、大阪市の中央辺りに位置する。大阪府自体、75歳以上の人口が2010年に9.5%、2025年には18.2%を占めるとみられていて、堺市も同じように高齢化が進む地域だと言われている。
  堺市というと、百舌鳥古墳群などが観光地としてホームページにもアップされている。政令指定都市で、単独で二次医療圏を構成している。人口はおよそ84万人。大阪市の南側に隣接していて、大和川を隔てて南側が堺市。
  府は8つの二次医療圏で成り立っているが、救命救急センターは、大和川から北側にはたくさんあるが、南側には3か所しかない。特に堺市には、救命救急センターがなく、当院が昨年7月に併設することになった。
  この図の右側が、堺市の二次医療圏の拡大図で、市立堺病院から緑の点の場所に新設移転した。医療施設は非常に充実した地域である。2023年には「K大学病院」もこの医療圏に移す計画がある。
  当院の紹介。一般病床は480床で、うち救命救急センターが30床、集中治療室が20床。ほかに感染症病床が7床あり、計487床。診療科目は30科ある。
  以前は重症患者さん1000人のうち300人ほどは市外の救命センターに搬送されていたものの、二次医療圏の中に救命センターができれば、搬送時間を短縮できるとホームページに長い間アップし、市民への周知を図った。
  こちらが堺市立総合医療センター。およそ1万9000平方メートルの場所に、設置主体の異なる建物が3つ建てられている。堺市立総合医療センターのほかには、「堺市こども急病診療センター」があり、公益財団法人堺市救急医療事業団が運営している。医師会が中心になっている建物である。それから堺市消防局の「救急ワークステーション」。
  こども急病診療センターは感染の診察室もしっかりとできていて、非常に充実した建物。堺市消防局の救急ワークステーションは連携をしっかりと取っていて、ドクター間の出動などに協力している。高度専門医療も推進していて、救命救急センターやハイブリッド手術室、アイセンターを設立した。救命救急の外来ではハイブリッドの手術を実施できる設備も整えている。
  新病院に移行するにあたって、救命救急センターと集中治療室を充実させるためかなり人員を増やした。看護師は昨年度に約110人を採用した。半分以上が新卒の看護師だったが、師長や現場のスタッフがしっかり育ててくれている。
  病院内の編成では、産婦人科や人工透析、代替治療室など病棟と外来とで連携を組み効率的に人員を活用できるように工夫して、診療センターも設置されている。
  常勤看護師数の推移はグラフで見るとどれだけ増えたかがよく分かる。(目盛りの)最下段は350人なので0から始まってるわけでは決してないが、若い女性の職場だと妊娠や結婚、育児短時間勤務を取るスタッフは増えてくる。そういう中で、ワークライフバランスをきちんと整えていくのがわたしの課題だと考えている。
  次に当直の診療体制。救急車を月700~800台受け入れているので、医師も非常に充実した形でチーム医療に取り組んでいる。
  救急搬送の受け入れ件数は、2015年度が8584件。80.3%というのは応需率。もちろん母数も増えているので、80.3%というのはかなりの数字だと思っている。
  これは入院経路。ウォークインも受け入れているが、救急搬送患者さんの36%前後が入院しているという現状だ。
  ドクターカーは月20回前後出動していて、右下の写真でブルーのシャツを着ているのが堺市消防局の特別救急隊の皆さん。上に2人立っているのが医師と看護師で当院のスタッフ。合同でチームを組んで出動している。
  小児救急は二次医療圏の約半分を当院で受け入れている。小児救急が充実するに従い、周産期医療が若干、機能分化して別れてきた。当院では正常分娩しか取っていない。36週以降の分娩に対応しているが、地域の公立の総合周産期施設、地域の周産期をしっかりと支えてくださっている民間の医療施設に、リスクがあった時に新生児を搬送しているのが実態だ。
  そういう中で、平均在日数はどんどん短くなってきて、病床の稼働率は横ばいである。平均在日数は、年間の平均を取っているのであまり正確ではないが、現在は9.5~10日未満で推移している。入院期間が30日以上の患者さんは2013年度には3割近かったが、現在は1割弱に減っている。
 救命センターの入院患者さんの状況を見ると、入院されてから手術を実際に受けている人が4割強。救命救急センターに入院した患者さんの7割ぐらいは院内の一般病棟に転棟される。その他の3割近くの患者さんは転院したり、退院したりしている。
  その救命救急センターから直接退院した患者さんのほぼ6割はご自宅にお帰りになり、救命救急センターから一般病棟に転棟した患者さんのほぼ7割がご自宅にお帰りになっている。
  次に重症度。総入院数が6月辺りに落ち込んだのは、新病院への移設がこのときにあったためである。1か月間は患者さんをほぼ0にして引っ越したのでこうなった。
  総入院数も増えているが、重篤疾患数は新病院になった後に俄然、増えている。
  救命救急センターでは、今の転院率は2割を超えている。転院も早く行い、患者さんへのリハビリも早くから始めている。これらが、入院日数を横ばいに維持できている要因だと考えている。
  特に、救命救急センターを併設して精神科の患者さんが増えた。新病院になってからリエゾンチームを編成した。救命救急センターに4か月間に入院した583件のうち、リエゾンチームによる介入件数は71件。特に自傷や自殺の方が多く、入院から平均3.3日以内、自殺の場合には2日以内に介入を開始している。年代は10歳代から90歳代と幅広い。1か月間に7~2件の自殺未遂の患者さんに介入している。
  実は精神科が当院にはない。そこで、二次医療圏の地域の病院から精神科の医師をお呼びして週2回、回診している。そういう中で連携を取りながら転院も進めていただいている。当院の精神の専門看護師と、精神福祉士とでチームを組んでいる。
  救命救急センターとは直接関係ないが、チーム医療の観点では、周術期のチーム活動も非常に活発に行っている。全身麻酔の患者さんにはまず手術室の看護師と薬剤師が必ず最初にコンタクトを取り、リスク評価や嚥下、歯科口腔のケアに関する評価と栄養の評価を行う。そういう中で、必要があれば特に主治医を通さずそのままリハビリや歯科口腔外科に連絡を取り、術前リハビリや歯科口腔外科の受診を勧める方法を取っている。
  実際、全身麻酔の患者さんの6割には、口腔外科を受診する必要があったというデータが出ているし、マウスピースなどを歯科口腔外科で作って、挿管前に装着する形を取っている。必要な場合には手術当日の朝、プラークの形成を要請することも実際に行っている。救命救急で今後、こういう活動を広げていくことで、よりスムーズな退院、地域連携にも結び付けられると考えている。
  薬剤師による内服確認の結果、かなりハイリスクの薬品(の服用)を事前に食い止められている。
  こちらは地域包括ケアシステムの姿。いつもこの絵を見て師長たちと、「急性期の病院が輪の外に小さく書かれていて寂しい」という話をする。先ほどのお話にもあったように、こういう中で生活される患者さんや、地域に戻られた後の患者さんのイメージをわたしたちがどう描くかが、すごく(大きな)課題だと考えていて、できるだけいろいろな所に顔を出すなど活動を広げるようにしている。
  「H病院とのリエゾン連携」など今申し上げたようなことも書いているが、例えば地域の学校へ出て行って「生命の授業」をしたり、今年から有明のがん研究会から理事長が来て、がんの予防授業に力を入れるようにと言われて、学校でがんの予防授業を行った。今年はこのほか、介護士を対象に褥瘡予防の研修会を院内で開き非常に好評だった。
  訪問看護ステーションの交流会は従来開いていたが、看護小規模多機能施設の皆さんと交流会をするなど活動を広めていっている。研修も、地域の複合型病院に行かせていただき回復期や療養型、それから訪問看護について行くなど、医療機関の枠を超えた活動もどんどん進めている。わたしもお花見やお祭りに行ってレクチャーをした。
  高度急性期や急性期の段階から「生活の準備」を始めなくてはいけないという話もあり、在宅への階段は非常に厳しいが、この階段を取り除いて少しでもなだらかな、散歩道とまではいかないが、なだらかな道のりにできたらいいと思っている。(その道のりに)花が咲いているとわたしたち看護のやりがいもあるのではないか、と考えている。
  これは今、院内でやっているデイケアである。認知症の患者さんにお昼、集まっていただいて指を使うような工作をしている。こういう所に医師も一緒に来て、患者さんと一緒に時間を過ごしている。少しずつだが効果も出てきているのでこういう活動も続けていきたい。
  堺市立総合医療センターは地域に密着したと書いているが、本当に地域の施設や地元の方々と一緒にいろいろなことをしながら、自治会費も払っているが、密着した医療を展開できればと考えている。

〇小山:どうもありがとうございました。堺市立総合医療センターは、大阪には珍しく急成長した。堺市内から大阪方面に救急で出て行く人もおそらく減っているし、看護師さんの数も(当初に比べ)2倍近い。平均在院日数が10日を切り、(病床稼働率が)90%以上の市立病院は非常に珍しい。経営が逼迫していた市立病院が一気に立て直した。興味深い。
  次に田中さんお願いします。

〇田中:皆さんこんにちは。
  わたしは、多職種による相互乗り入れ型のチーム医療、あるいは先ほど栗原先生のお話にあった「多職種を知る・尊重する」という中で、薬剤師の覚悟のようなものを話したい。
  本日お話するのは2つ。これは7月24日付の毎日新聞の記事である。ある大学病院で、抗てんかん薬のラモトリギン(一般名ラミクタール)を本来の投与量の約16倍に当たる「1日200ミリグラム」を連日投与してしまったということだ。この記事によると、増量は確実に効果を出したいがためにということだったようで、その量が正しいかどうか院外薬局から照会があったにも関らず病院は見直さなかったというようなことが書いてある。
  この抗てんかん薬はリスクが極めて高いため投与量を慎重に判断すべきなのは周知のことだ。製薬会社から「適正使用のお願い」が出ていて、「医薬品医療機器総合機構」(PMDA)や厚生労働省が注意喚起して、なおかつ学会からもステートメントが出ていた。PMDAの調査によると、これだけの情報が出ているにもかかわらず、残念ながらまだ十分に周知されていなかった。
  薬局からは量が正しいかどうかの照会があったにも関らず、病院側は見直さなかったという今回のケースのようなときに、今日申し上げたいことは2つあり、一体そのときの疑義照会がどういう言い方で、医師にどう伝わったのかが一つ。そして、仮に「そのままで」と言われていたのだとしても、そこで薬を出してしまってもいいのかということである。
  なぜかというと、ここで「チーム医療」を考えるわけで、わたしの知り得る限りこのラミクタールは用法・用量が最も難しい薬の一つで、年齢によって疾患によって、投与量が異なる。さらに難しくさせるのは併用薬の有無である。抗てんかん薬を併用しているのか単剤なのかということで、併用薬の有無と疾患、年齢を考えなければならない。
  例えば小児の場合か双極性障害の場合かで、投与量が複雑になる。てんかんの成人の場合と小児の場合、そして双極性障害の場合。このケースはおそらくてんかんで成人の場合で、200ミリグラムでいきなり報道に出てきたわけで、この場合にどう対応しなければならなかったのかということだ。
  そもそも、わたしたち薬剤師がどれだけいて、どのような所に勤めているのかを示したのがこれである。2012年12月のデータによると、薬剤師約280万人の半分以上が薬局に勤務していて、病院は19%ぐらい。
  そして「あなたにとって薬局とは」との質問の回答では、「薬を調剤してもらう所」が圧倒的に多い。
  これは、薬剤師に非常に理解のある狭間研至先生のコメントである。チーム医療の一員としての自覚があるのかを問い掛ける内容で、「もしかしたら自覚を感じていないのではないか。それはなぜか」と、狭間先生なりの見解でわたしたちにメッセージを送っていただいている。もう一つ、薬剤師の在るべき姿とは一体何かも狭間先生にお示しいただいた。これは医療人として共通なもの。原点に立ち返って、なぜ薬剤師になったのかを考えようと。わたしが「はっ」とさせられるのが、「あなたが薬剤師として提供したいと考えているのは、薬なのでしょうか。それとも健康なのでしょうか」と。
  薬剤師法第1条を示すが、医師法と実は非常に似ている。最後の「もって国民の健康な生活を確保するものとする」は一緒で、条文の方が異なる。
  本日のパラダイムシフトを考えると、相互乗り入れとは何かを考えていく必要があるということだ。
  2つ目の話は、わたしたちの病院ではどのような取り組みをしたのかについてである。相互乗り入れや他職種への理解の部分でどのように取り組んだのかについての紹介である。これは「医療スタッフの協働・連携によるチーム医療の推進」の医政局長通知である。
  薬剤の種類、投与量、投与方法、投与期間などの変更や検査のオーダーについて、医師・薬剤師らが事前に作成・合意した「プロトコール」に基づき、医師の負担軽減という面からも事前に申し合わせた上で範囲をしっかり決めて、病院の中でルールを周知して協働することが大事だと言われている。
  わたしたちの病院の中では、通知に出てくる「プロトコール」を承認することで協働を進めている。わたしたち薬剤師の中では、「プロトコールに基づく薬物治療管理に関する手順」(PBPM)と呼んでいる。期待される効果として▽医療の質(安全性、有効性の観点から、医療の質改善への期待)▽患者の視点(服薬アドヒアランス、QOLの観点)▽医療スタッフの視点(医療スタッフの負担軽減の観点)▽経済的視点(医療費、病院経営の観点)―の4点を示している。
  ここに「チーム医療推進委員会の議を経て」とあるが、実はわたしたちの病院では5月から、昭和大学病院と付属東病院に「チーム医療推進委員会」を立ち上げて、チーム医療を推進していこうとまさに現在進行形で進めている。ここで先ほどのプロトコールを承認してもらう流れになっている。
  そのためにわたしたちは数年前、「臨床能力向上プログラム」を立ち上げて医師、看護師、その他の職種の協力を得て日々、学習に取り組んでいる。目標は医師、看護師はどのような視点を患者の容態や病態把握に生かしているのかを学ぼうということ。そこで、ここにある多職種の共通言語として▽医療面接▽身体所見▽バイタルサイン▽生理学的所見―の4項目を学習した。当薬局の北原加奈之が積極的に取り組んでくれた。
  こちらに参考文献があるが、多職種連携の医療を成功させる要因は、いずれにしろ多職種の共通言語を身に付けようという内容である。
  これは初年度の臨床能力向上プログラムだと記憶しているが年に4回、医師、看護師を招いて時間、目標と方略を決めて、実際の写真を用いて総合診療の医師によって問診、診断、バイタルサイン、画像所見の講義を経て、小テストを行うことで進めている。
  その結果がこちらである。「身体所見」に対する意識の変化を上段に、バイタルサインの意識の変化を下段に示した。「事前」と「事後」を比べると、「身体所見」では「関心」と「有用性・関連性」の項目はあまり変わらなかったが、「実践への自信」が有意に上がった。
  「バイタルサイン」でも、優位な差をもって増加したものがある。「実践への自信」が参加後に上昇していて、「身体所見」と「バイタルサイン」による情報共有によって参加者は自信を付けることができた。
  4つの項目があると先ほど申し上げたが、「医療面接」への意識の変化がどうなったか、「生理学的所見(画像所見)」の意識が変化したかを見ると、関心はもともと高く、「有用性・関連性」と共に「事前」と「事後」とで大きくは変わらなかったが、実際に講義を聞いて体験してみて、逆に(少し)低下している。なぜなのかを考察した結果、(講義を聞いたり体験したりすることで)これらの奥深さを知り、自分たちの知識が上っ面だったと体感したためだろうとみている。
  今までの話は、臨床能力向上プログラムにより(多職種で)「共通言語」を持つ試みだったが、もう一つ、相互乗り入れの観点では文部科学省の事業でプログラムを大きく3つに分け、その中の一つを今日はお話しする。もちろん救急の先生方や当院の医療スタッフが中心になり、その中に薬剤師が加わった。報告書も既にまとめられている。
  この赤く示した部分が「院内の急変コース」。今回はこれについて(話す)。
  目的は、高度な専門性に基づくチーム医療を実践するため多職種合同によるケースシナリオ形式の教育プログラムを作成することとある。
  これが結果で、9職種から25人が参加した。看護師が(7人で)最多だった。
  評価方法はコース実施後にアンケート調査を実施した。モジュールを4つ示した。
  研修前、救急センターの他職種の役割を理解しているかを25人に聞いた結果、「理解している」が1人(4%)、「一部理解している」は17人(68%)、「理解していない」が7人(28%)だった。先ほど「モジュールが4つある」と申し上げた。1つ目は急変時の対応を経験する、2つ目はER初療室でのチーム蘇生を多職種によって体験する、3つ目が集中治療室での治療を体験する、そして4つ目がカンファレンスを模擬体験する―。この4つの場面。
  それぞれの結果はこちらに示す通りで、かなり理解できていることが、5点満点中4.52~4.76点といずれもかなり高い点数なことから分かる。
  そのときのアンケートで他職種への意見を聞くと、例えば医師は「通常は言葉数が少なくても対応できていたが、多職種間では共通言語が分からないこともあり、はっきり指示しないと伝わらないことが分かった」と指摘した。看護師は「他職種の声が聞けたことで、自分が伝えなければいけない情報が分かった」。事務スタッフや薬剤師、臨床工学士(CE)の声もある。コミュニケーションの重要性を非常に強く認識できたのではないかということが分かった。
  そもそもパラダイムをシフトさせることでチーム医療を進化させる組織戦略を考えるとき、チームをどう結成するかを最初に考えた。
  これは理想論でまだまだ追い付けないかもしれないし、もしかしたらわたしの考えが間違っているかもしれない。深く追い切れてないかもしれないが、一つには「多機能モデル」というものがある。
  「形成期」から「混乱期」「標準期」「達成期」という段階を踏んでチームは発達していく。最初はばらばらだったが、チームが結成されて様子見をする。「誰かがどうにかするだろう」と、空気を読むということをする。エネルギーは個人の内側に向かう。混乱期には意見のぶつかり合いになる。「わたしならこうする」と(主張し合う)。エネルギーはチームの内部の競争に向かう。そしてだんだんとこれが良い方向に進むと、チームが従うべき基準を作り出す。「ビジョン」「ルール」「仕組み」がチームを拘束する。さらに、達成期になると、「ビジョン」「制度」は協働意思で成立し、エネルギーは共通のゴールに向かう。ばらばらだったものが、だんだんと皆が一つの方向に向い、「ビジョン」「制度」は協働意思で成立している。こんなチームを目指すべきだという気はしているが、残念ながらまだこの域には達していないと思う。
  ただし、わたしたちの病院の中には、病棟薬剤師が多くの診療科、すべての病棟におり、特に救急のスタッフと協働を行うに当たっては非常に近い位置にいるのではないかと思っている。
  この達成期になると、非常に良いのが「わたしたちになら何でもできる」という意識をチームメンバーが持つようになることである。こうなったらいいなという理想形だ。
  冒頭に示したように、チームは専門職の集まりなので、それぞれの専門職としての自覚や覚悟を持っていることにプラスして、チーム医療を担うことへの自覚がもう少し必要だと言えるだろう。
  それから共通言語を習得して、個々を尊重しつつ、互いの役割をカバーし合う。このことが、冒頭にお示しした今日のテーマの2つ目の結論だ。これはまだ理想形で追い付いてはいないが、目指すべきは、「わたしたちには何でもできる」と信じるチームを、「目指す」のではなく「作る」という決意である。
  以上で私の講演を終わりにしたい。

○小山:ありがとうございました。それでは、シンポジウムを始めたい。なかなか良い内容だった。このLTAC研究会自身が、いつも言っているが、急性期も慢性期も、回復期も、公的な病院と民間病院を一緒に考えていかなければならない。急性期の人たちは「自分たちは急性期以外はやらない」ということを言って、回復期の人たちはリハビリの話しかしない。慢性期は慢性期の話しかしない。在宅医療は在宅医療の話しかしないが、それら全部を総合して医療を考えなくてはいけない。
  栗原先生は日本リハビリテーション病院施設協会の会長でいらっしゃるが、ご質問やご意見があればどうぞ。

〇質問:川渕です。小山先生にはとても良い問題意識を持たれており、わたしも今回のシンポジウムのテーマ「チーム医療を深化させる組織戦略」は非常に良いと思った。いろいろな立場のシンポジストがご登壇されているので1問ずつお聞きしたい。まず栗原先生。先生はリハビリ病院の院長ということだが、わたしは10数年前、「長崎救急医療白書」をまとめるにあたってデータを分析したことがある。船橋もこれに感化されて救急医療白書を作って、長崎市と船橋市を比較すると、例えば心筋梗塞で死亡率が2倍ぐらい違った。それを何かに書いたら、NHK長崎放送局から「番組に出ないか」と呼ばれた。あの後にかなり変わったと思うのは、例えば長崎には県庁所在地で唯一、救命救急センターがなかったことだ。聞くところによると、その後に市民病院を整備したと聞いている。
  わたしがお聞きしたいのは、リハビリというかチーム医療の話で、病院の中でこれから多職種連携や協働が必要だという話だったが、「官」と「民」の関係では、例えば救急は非常に「民」が頑張っている。言いにくいが、山口昇先生も長崎大学出身で、公立みつぎ総合病院で、地域医療包括ケアとか言っていたが、長崎には、中心的な公的病院があまりなくて「民」が頑張っていたが、今は変わってきたのかというのが一つ。
  先述の番組でたまたまご一緒したのが、前副院長で救急に携わっていらした先生。先日大阪市立病院で教えてもらったのは、大和川を一つ渡ると生活保護率などがずいぶん違うということ。谷口先生に一つお聞きしたいのは、「官」と「民」との連携といったとき、K大学病院が近隣にある中で「官」と「民」の関係はどうなのかということ。
  例えば看護師さんが特定の病院に集まっているが、政令指定都市の中でも堺市では人口がこれから減る。それなのになぜ「K大学病院」が堺市に進出してくるのか、なぜ堺市は誘致したのかは分からないが、「官」と「民」の関係はどうなのか。
  最後に、田中先生にお聞きしたいのは、16年前の学会の最後のセッションで日本の医薬分業は本当に患者のためになっているのかをテーマに行って、その時から1回も薬剤師会から講演依頼がない。10月1日から「門内薬局」が規制緩和されて始まる。先ほど先生は奇しくも院外薬局の照会が正しかったのかどうかという話をされた。千葉大学でも滋賀大学でも、門内薬局が入っている。関西医科大学も院内処方に戻した。昭和大学はどうするのか。これは有賀先生に聞くべきかもしれないが、薬剤師としてどうお考えかをお聞きしたい。

〇栗原:川渕先生が言われたように、長崎にはかつて全国の県庁所在地で唯一、救命救急センターがなくて、他県で救急医療を経験した人達が集まって「長崎実地救急医療連絡会」を1992年に作った。1997年以降はデータバンクがあり、今でも県全域で救急搬送のデータバンクが運用されている。これは、全国でもおそらく唯一存続しているものだと思うが、わたしが救急医療をやっていた当時は、民間病院が救急搬送の応需体制の8割以上をカバーしていた。
  わたしが長崎を出たからというわけではないが、介護保険が始まって以降、一つは大学病院が独立行政法人になり、もう一つは小泉構造改革で地域医療が少しずつ駄目になった後に公的病院が急浮上して、相当なパワーを持てる財政環境があったと思う。
  この2つをきっかけにまず第1点、今では救急応需体制に占める民間病院のウエートは4割弱。それは民間病院の特に二次救急が疲弊してしまったため。大学病院では、独立行政法人になると同時に新臨床研修制度の影響でドクターがローテーションしていない。
  もう1点は、大学病院に救命救急センターができたことである。市民病院も救命救急センターを作ろうと頑張っているが、ドクターをうまく確保できず、一時期始めたが低迷している。不思議なことに、ヘリポートを持っている病院が3つ4つで出してきた。どういうことかと思うが、ご存じの通り長崎は西の果てにあると同時に、離島が1番多い。全国で初めてヘリコプター搬送を行った県ということもあり、離島に対する救急医療システムには対処できる。しかし、今1番問題なのは半島と、市と市の間のいわゆる過疎地である。
  もう一度言うが、「官」と「民」の役割はどうかということでは、このまま行けば「官」が一人勝ちする。大学病院が独立行政法人になって以降、変な話だがどんな患者さんも収容するという救急搬送と、民間からどんどん紹介していただく病院を高く評価するという旗印を掲げ、いろいろな患者さんが集中した。救急搬送が特にそうである。なぜ大学で手術をしなければならないのかという患者さんもどんどん増えて、大学病院の職員が疲弊し始めた。そういった意味では昔とはずいぶん変わった。
  わたしが救急をやっていたころは、長崎で心筋梗塞になったら、お金がある人は小倉の病院から迎えに来る、運の良い人は久留米大学から救急車が迎えに来る、お金と運がない人はあの世に行けるというような噂もあったが、今では問題ない。脳卒中の地域医療連携では、全国で初めて脳卒中センターを県が認定してシステム化している。そのバックアップを長崎回復期リハビリテーション連絡協議会が担っていて、脳卒中に関しては8割以上がこの流れに乗っていると言える。
  ただ「官」と「民」の役割については今もまだ論争の真っ最中。地域医療計画そのものはかなりしんどい。これが長崎の特徴だ。

〇谷口:大学病院の堺市への誘致に関してはわたしには分からない。

〇川渕:看護師さんは大学病院に流れないのでしょうか。

〇谷口:病院が新しいと人が集まるので、そういう意味では非常に助かっている。もちろん大学病院が来ると、やはり人は少し流れるのかな、とは思う。
  そこで、地域の中で、交流ではないが研修はもっと盛んにしていく。ケアミックス病院の看護部長さんと話すと、自分で病院を選べるというか、いろいろな健康段階の患者さんを看ることができることが強みだと感じる。そういう施設との交流はどんどん進めて、人の採用に関しても隔たりのない形で、将来的にできればいいと考えている。

〇田中:昭和大学病院や昭和大学の方針には回答できる立場ではないので、あくまでも私見ということで回答させていただくが、結論として医薬分業は推進すべきだと思う。
  川渕先生がおっしゃるように兵庫、滋賀、鳥取の大学病院を含めて大きな病院が院内処方に戻す動きがある中で、昭和大学には8つの付属病院があり、そのうちのある病院では院内に戻す方向に舵が切られているのが現状だ。そもそもなぜ医薬分業があるのかを考えたとき患者情報の一元化がある。高齢化が進む中で複数の医療機関にかかるケースや、患者さんの利便性を考えると院外処方にメリットがあるのだろうと思う。それなのになぜ院内処方に戻しているのかというと、やはり一つには、薬価差益という経営上の問題がある。そして、医師会からも厳しいご批判をいただいているのは、院外処方はそもそも患者さんのためになっていないということだ。
  そのような厳しい批判もある中、確かに一部の保険薬局にもあまり適切でない所があると思うが、そこは今後の薬剤師の関わりだったり、覚悟だったりにも関わると思う。大学病院の薬局に勤務する立場としては、本来の医薬分業は必要だと考えていて、院内処方に戻すべきではないと考えている。

〇小山:「門前薬局」に対して「院内薬局」と言った場合、院内薬局も医薬分業ではないのか。「戻す」というのは、門前薬局を病院の中に作ってもOKということではないのか。「門内薬局」だからそれは医薬分業。だから病院の中に入ってきたからといって元に戻るのではないのではないか。

〇田中:病院自身の機関ではないところが入って、病院の中に呼び込んでということですね。

〇川渕:コンビニエンスストアのような所がやるのと、院内処方に全部戻してしまうのと。ただ、戻すべきだという薬剤師もいる。しかし、それは無理だから、テナントとしてまともな門前薬局に門内に入ってもらう。

〇田中:そこは非常に難しい問題だと思う。その考え方は成立するとは思うが、先生が言われたように、院内にコンビニエンスストアを呼び込むのと同じように考えるのがよいのかどうか。

〇小山:もう一つ、薬剤師のチーム医療の話はいつも消極的である。もう少し明確に述べて頂きたい。門前薬局と病院の薬局では程度が全く違って、抗がん剤の指導など門前薬局では全然できないと言っているではないか。
  整然たる議論であり、医薬分業には反対しない。薬剤師さんの役割にも反対はしないが、もう少し、薬剤師さんは医療の中で何をしたいのか明確にすべきだ。メッセージがすごく弱い。看護師さんは40年間で4倍になった。30万人が150万人に。薬剤師さんの人数は増えているけど、病院での人数は増えないで、コンビニの店員や調剤薬局の店員だけが増えている。国民の健康上それは良いのか?
  わたしたちは、150円の目薬1個をもらうのに2300円も払わなくてはいけない。こんなシステムはおかしい。目薬1個150円が2300円以上を払って、お医者さんが処方せん料を取る。それなら「OTCであの薬を買って来い」と言われた方が良い。納得しがたいがどうか。

〇田中:それに答えるのは難しい。先生がおっしゃったように、「院内に薬局を」ということは、その組織ではないところが入ってくることなので、患者さんはその薬局に立ち寄らなければならないという面がある。そこがどうなのか一つ気になる。

〇川渕:利便性を考えれば、橋や道路を渡って行かなくても病院の近くに(薬局が)あれば良い。それが門前。「それなら門内で良いではないか」というのが日本医師会の提案。これが10月1日に始まる。わたしが聞きたいのは、ラミクタールのような問題をなくす上でも、まともな院内薬局に近くに来てもらえばそれでいいのではないかということ。患者さんによっては、「俺は門前が好きだ」という人がいるかもしれない。病院薬剤師としてどうか。

〇田中:おっしゃるように、非常に実力があり患者さんに選ばれるのなら良いと思う。ありだと思う。

〇小山:ほかにもご質問をどうぞ。

〇仲井:芳珠記念病院の理事長の仲井です。実は今日、1回もポリファーマシーの話が出ていない。在宅医療とか救急とか、地域包括ケアシステムを回す中で、わたしがいつも思うのが、リハビリ、栄養、認知症、ポリファーマシー、この4つを同時に対応しないと患者さんはよくならない。早く在宅に返すには、それが1番重要なことだと思う。
  まず今回の診療報酬改定で、ポリファーマシーに対して薬剤師さんがかなり脚光を浴びていると思う。でもあまり皆さん言われない。昨日も川渕先生の学会に出ていたが、最後の医薬分業のときにポリファーマシーの話が全く出てこない。薬剤師さんは今回のことで、ポリファーマシー対策についてはかなりステージが上がり、ものすごく脚光を浴びている。多分、「第二の人生」が始まるような気もする。院内でも複数のドクターに対して提案しなくてはいけないし、院外のドクターからも同じ患者さんに対して薬が出ている場合がある。それらすべてに提案しなくてはいけないわけで、そこを今後、どう考えていくか。それが地域包括ケアシステムや、救急を考える上でも非常に大事だと思う。

〇田中:ありがとうございます。実は京都で開かれている日本医療薬学会で今、開かれているシンポジウムでは、ポリファーマシーの問題だけを捉える、あるいはポスターセッションを見ても、去年はポリファーマシーという言葉は一つもなかったが、非常に多くの施設で実際に取り組んで効果を上げている。わたしたちの大学病院でも、診療報酬改定があったからではなく、適切な薬剤を考える、高齢者の薬物治療を考えるときには多剤併用が問題になることから言えば、見直す姿勢は絶対的に必要で、先生がおっしゃるように一体化して考えていくべきだと思っている。
  保険薬局の薬剤師も病院薬剤師も、ポリファーマシーの問題には今、非常に敏感で、先生がおっしゃったように、診療報酬改定があったからなおさら、250点という点数を考えたときにも、わたしたちの病院でも1か月ごとに管理会議の中で業績を報告している。
  患者さんのためには絶対的に必要だと思うが、一方で今回のポリファーマシーの議論で印象に残ったのは、内科の医師もシンポジウムに参加されていて、「自分は内科の医師だから循環器の薬が出てしまうと、問い合わせが来ても簡単には減らせない」と。もう一つ、睡眠薬に頼る高齢者については、「依存性はなくても、どうしても患者側の訴えで切ることができない」ということだった。
  そこは今後の課題だと思うが、例えば高齢者の診療科があって医師が一本化して診ているのなら、それは一つの方法だと思う。しかし、循環器内科にかかって消化器内科にかかって、整形にもかかってというとき、それを統合してどうするかということが実際にはなかなか追い付いていない。だからこそ薬剤師がしっかりと、ということだ。わたしも全くその通りだと思う。そこは熱い議論をしている最中なので、少しお待ちいただければ、良い回答が出てくるのではないかと思っている。

〇仲井:ありがとうございます。よろしくお願いしたい。

〇小山:結論は、病院薬剤師会の組織戦略を組み立てた方がいいということ。ほかにご質問、ご意見ありますか。

〇高橋:今回のシンポジウムのタイトルである「医療実践における“パラダイムシフト”~チーム医療を深化させる組織戦略~」に沿った話がほとんどなかった。誰がパラダイムシフトを持つと、チーム医療がどう進化するのか、栗原先生が一番よろしいかと思うが、チーム医療、パラダイムシフトを起こさなくてはいけないということで、誰がキーパーソンで、どういうパラダイムシフトが必要なのか。小山先生にも伺いたい。

〇栗原:まず、パラダイムシフトというのが、どこに焦点を絞ればいいのか、なかなか難しいと思うが、わたしのプレゼンの趣旨は、医療の中に「生活の視点」を入れることがパラダイムシフト。これがものすごく難しい。そのためには多くの専門職が関わる形が必要であるが果たして今、急性期でチーム医療と言われている状況が、本当に「生活の準備」という視点で担われているかを問い掛けたつもりだ。そのためには、理想像としてはやはりそれを構築する、外側にバックアップするようなチームが必要なのかもしれない。
  臓器別の専門家チームと表示したが、例えばヨーロッパにおける「ストロークユニット」が、ハードではなくチームをユニットとしてあちらこちらに出張って行くような運用の仕方も一つの方法としてはあるのではないかともイメージするが、基本的には、急性期のチームと回復期以降のチームとでは運営そのものも全く違う。それがきちんと認識されて運営されていくことが基本的には進化だと整理したつもりだ。

〇小山:パラダイムシフトを誰が起こすかと言われても、わたしはちょっと違った考えをしていて、少なくともこの40年間、日本の医療は急激なパラダイムシフトを経験している。わたしは40年間この仕事をしていて、40年前のデータを覚えているが、70歳以上の高齢者は8万9000人しか入院していなかった。今は89万人。この40年間で10倍になった。
  看護師さんは36万が120万人。20年ごとに倍々になり、4倍になった。病院の事務職も4倍になった。OT、PT、STという、かつてはなかった職種の人たちがたくさん出てきた。臨床工学チームも、社会福祉士も介護福祉士も誰もいなかった。
  堺市の病院ではないがすごい重装備。わずか5年間で看護師が倍になり救命救急センターができた。医療技術も全く違ってきている。わたしたちはまさにパラダイムの中にいる。だからいろいろな議論が湧いてきている。
  起きているパラダイムに対して病院の組織、もっとはっきり言うと、医師や看護師さん、チームや組織が全く追い付いてない。コンピューターの技術がすごい勢いで進んでもソフトが間に合わないように、人の心が変えられないと、わたしはどうしても言いたい。こんなに急激なパラダイムシフトを体験している。お医者さんたちも40年前の昔は下駄を履いて手術していたんだから。大変なパラダイムシフトを体験しているのに、ソフトや気持ちや考え方、チームビルディングとか、そういうものが追い付いていないのではないか。今日は谷口看護局長にも来てもらっている。彼女はわたしの大学の卒業生だが、在学中に病院の改編の準備をしなければいけないわけである。病院が全く違う病院になっていくという形ですごく苦労をされて、いろいろなことを体験して彼女の顔がどんどん変わっていく。まさにパラダイムシフトである。名前は同じでも全く違う病院になった。総合医療センターと付いただけで。わたしはそう思うがどうですか。

〇谷口:確かに急激に変わっていて、パラダイムシフトというか、院内のチームだけでは活動できないとひしひしと感じている。例えばドクターカー一つにしても、いろいろな形で地域の人たちと一緒に仕事をしていかないと追い付いていかないと毎日感じている。

〇小山:救急の話をするといつも消防隊員やドクターカーがでてくる。市の消防本部と市立病院が一緒にできるならそうやればいい。厚生労働省では、40年前とは全く違うことを言っている。しかしながら皆は何も変わっていないと思っているということだから。誰も和食なんか食べなくなっているのに日本食が世界中でブームになったり、誰もおもてなしなどしていないのに日本がおもてなしの国になったり。きちっと現実に対応して、組織や戦略、人の気持ち、経営戦略を考えなくてはいけないのに、技術などが変わる所はどんどん変わっているのに、変われていないのは自分だけのような感じがするが、いかがか。

〇高橋:環境はずいぶん変わっているが、パラダイムというのは世界観、医療観の話。一つは栗原先生が言われるように医療に生活をどれだけ取り入れるかということ。もう一つは死生観的な、本当に救うことだけが医療かということに対する問い掛けが昨日の病院管理学会でも出ていた。実際の現場の従事者の世界観、医療観に変化が出ているのではないかと。現場で働いていないのでその辺の話を聞けたらと思い質問させていただいた。いかがですか。

〇小山:世界観が変わっているか。

〇谷口:救命救急の医療をしているとやはり、来られる方は助けざるを得ない状況があって、そういう中でスタッフのジレンマだとか、死生観は少しずつ変わってきているのではないかと感じる。当院は高度医療の中でがんにも力を入れているが、例えば胃瘻にしてもDNAR(延命治療の中止)にしても、院内に共通の「ポルスト」(POLST)と呼ばれる、終末期の「事前指示書」のような形をきちんと整えていこうという動きが医師、看護師の間にあり、話し合っている。少しずつそういう所は変わってきている。
  もう一つ、患者さんに在宅へ帰っていただくことに関して、病名告知はしていても余命告知まではしていないため、在宅に帰るタイミングがどうなのかは、地域との話し合いの中で持たれるテーマだ。

〇栗原:一つは2000年以降、第1段階として回復期リハビリテーション病棟ができて、しかも急性期のリハビリをどう普及させるかという議論もしながら、だんだんと病院の中にPT、OT、STたちが勤務し出したということと、もう一つはソーシャルワーカーが地域医療連携の名の下にいろいろな所に勤務し出したことである。そういった意味では、ドクターの身近にいろいろな職種がいることで意識が変わる可能性がずいぶん大きくなったとつくづく思う。
  わたしどもの所では病棟単位で運営しているので、ドクターも含めて、いろいろな職種がいるのが当たり前のような格好になっている。ただ、若干気になるのは、いろいろな専門職がいろいろな関わり方をしながらやっていくと、やはりドクターのものの考え方やコーディネーターとしての能力がある意味、強烈に問われてくるので、そこが教育として急がなければならない部分だろうと思っている。
  専門職が学校を卒業したらすぐ、チームの一員になれるのかと言うととんでもない。社会性を身に付けられるのは卒業してからになってしまうのである意味で大変だ。世代間の違いもあって、つくづく頭を抱える問題だ。もう一点は、在宅在宅と言うが、「団塊の世代」は本当に家へ帰れるのかとても心配している。どこでどう「あの世」に行きたいのか、地域住民と早く議論を始めなければならないと思っている。

〇田中:小山先生が言われたように、わたしたち薬剤師を見ても、自分が卒業してから28年が経ったが、第4世代まで行っているのではないかと思っている。調剤専門だった薬剤師から、今や病棟勤務は当たり前で外来にも薬剤師が行っている。「救うだけが医療か」と言われたのはすごく難しく即座に答えることはできない。ただ、臨床の方に向いているというのは第2世代ぐらいまではそうだったと思う。6年制教育への移行のみならず意識自体が変化しているので、先生がおっしゃったように既にパラダイムはシフトしているというのもすごく納得できる。

〇小山:いろいろなことがあるが、例えば世界の医療は「人の命は地球より重く、人の命を救うことが医療だ」とはもう定義していない。安楽死法案がどんどん米国で出てきて、安楽死の薬を渡す医師がいるわけだから。リハビリも全く変わってきている。わたしは40年前、医師に「病院経営なんて、そんな汚い商売をやるな」と面と向かって言われた。「医療経営なんかあるわけがないだろう」と。「補助金を付ければそれでいいんだ」と言われたが、そのような医師は、いなくなってしまった。わたしにとっては、同じ医師という職業がこんなに変わったのか、看護師さんがこんなに変わったのかという印象である。看護師さんというのは、昔は優しくて、ニコニコしてて、いい人だな、白衣の天使というイメージであった。今では、日頃の仕事の業務内容も変わってきていて、「急」「慢」「公」「民」の関係をもう一回しっかりと考えて、日本の医療をより良くしていくことが重要だ。この学会にお運びいただいた皆さんのミッションだと強く思う。今日はどうもありがとうございました。

○仲井:以上をもって、シンポジウムⅡを終了致します。小山先生、栗原先生、谷口さん、田中さん、どうもありがとうございました。
(了)

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