日本長期急性期病床(LTAC)研究会 第4回研究大会 開催報告

大会長講演



地域包括ケアシステムにおける
救急医療のあり方
~メディカルコントロール体制の強化~


座長:小山信彌(東邦大学医学部医療政策・渉外部門特任教授) 

演者:有賀徹(独立行政法人労働者健康安全機構理事長)

〇仲井: それでは、ただ今より大会長講演「地域包括ケアシステムにおける救急医療のあり方~メディカルコントロール体制の強化~」を行う。座長の小山信彌先生よろしくお願いします。

〇小山:大会長講演をこれから開催致します。有賀先生のご略歴を簡単にお話しさせていただくと、有賀先生は東京大学を卒業後、脳神経外科医になられた。その後、救急に関わりながら、上西先生がいらっしゃる公立昭和病院に出向され、その後、昭和大学に教授として招へいされ、救急医学講座を起こされました。
  2011年に病院長を務められ、2016年からは労働者健康安全機構理事長として大変お忙しい日々を過ごされている。
  本日の大会長講演では、「地域包括ケアシステムにおける救急医療のあり方~メディカルコントロール体制の強化~」ということでお話しいただく。有賀先生よろしくお願いします。

〇有賀:それでは、講演を始めたいと思う。
  最初に、皆様のお手元の資料を作成する時期から少しずつ、「こんなことも話したい、あんなことも」と、スライドの枚数そのものはあまり変わっていないが、スライドの景色が多少変わっているところがあるので、あらかじめご了承いただきたい。
  今日は救急医療の在り方ということでお話ししたい。
  最初のスライドは、この題名がどこから来たのかを白状するためのスライド。これは今年3月、日本医師会の「救急災害医療対策委員会」が日医会長の諮問に対して報告した際の目次の一部だ。目次は最初が「地域包括ケアシステムにおける救急医療のあり方~メディカルコントロール体制の強化」という題名で、2番目が「災害医療」。日医会長が指定公共機関として中央防災会議に入ったことの意義や、今後の展開をどう考えるのかが2番目に加わる。
  メディカルコントロール(MC)と言っても、「日本語で言わないと誰も分からない」とか、今日の救急医療の在り方、具体的な考え方、救命士は消防機関にももちろんいるが、それ以外で働く人たちもいる、といった諸々が書いてある。今日はLTAC研究会に即した形でお話を進める。
  これは、地域医療構想について東京都医師会と都の行政が話し合う中で、二次医療圏という形で東京をばらばらにしてはいけないのではないかと、現在の猪口副会長が言及した論文から拝借したものだ。
  結局のところ、何年か前に分けられたものの、医療施設そのものの分布は、区分けされたその地域ごとにうんぬんかんぬんという話ではない。そしてなおかつ今回の構想で「本当にこうなってはいけない」といった文脈だ。
  そのような文脈から、東京都ではやはり中小病院や民間病院が多いとか、交通網が発達しているとか、2025年に向かってなお高齢者が増えていくと。湾岸地帯の江東区などは人口そのものが今でもがんがん増えている。2025年に都では、少し増えるか少し減るか、その辺りだと。そして高齢者の単独世帯が多いといった話だ。
  取り組みとしては救急医療を充実させよう、これも後から話すので最初に触れておくが、普段の地域包括ケアシステムにおける連携を「水平連携」とすれば、そのような水平連携に準じた「垂直連携」はこれからの救急医療の眼目だろう。
  先ほど上西会長から総人口に占める65歳以上や75歳以上の高齢者の割合の話があったが、東京で救急車100台が走ったとすると、そのうちの49台ほどは65歳以上の搬送で占められる。既に50台を超えているかもしれない。そして34台ほどが75歳以上の搬送。
  マスメディア的な言い方をすれば、救急医療と言ったとき、半分は高齢者の救急医療に占められる。こうした観点での救急医療の問題がある。
  ここに地域包括ケアシステムにおけるこんなことがあるんじゃないのか、かかりつけ医や看取りの問題などがあるが、要は地域社会・地域コミュニティーをそれなりの形に再構築しなければならないのではないか、そのためのプラットフォームとしての役割をおそらくは群市区医師会が果たさなくてはならないのではないかという議論だ。
  これは、東京消防庁の今の状況。今申し上げたように救急搬送の3分の1以上は75歳以上で占められる。この茶色の部分。そしてこれが「60~74歳」で、65歳以上を見ると49%。そして、これは平成24年中の救急搬送で概ね一万人が前年よりも増えた。救急搬送人員はもうすぐ70万人を超えると思われるが、年に1万人の搬送増があると、そのうちの9000人を75歳以上が占め、この年代が着々と増加している。
  「この年代が」と申し上げたが、超高齢社会における高齢者には基本的に元気な人がたくさんいるが、分類上は社会的な弱者、災害時の弱者というようになる。そういう意味で、社会におけるストレスや負荷は増えている。それに加え、地球の温暖化で熱中症がこれから増えるという話もある。
  もう一つ、これはミュンヘンのデータで総務省消防庁の報告に載っているので見てもらえば分かるが、横軸左が貧困層、同じく右が富裕層。貧困層は1000人当たり概ね年に60~80回ほど救急車を使っている。富裕層はその半分、年に30~40回といったところで、きれいな相関を示している。東京や日本全体でこの手のデータを出そうとしている人は結構いるようだが、なかなかない。出てこなくて幸いなのかもしれないが。
  いずれにしろ、東京でも全体として救急搬送の需要は増えている。もちろん人口は減っているが、高齢者の数が減り始めるのは先の話だ。 われわれ救急医療の関係者が何をしてきたかというと、いわゆるトリアージだ。病院におけるトリアージはカナダのトリアージの仕組みをうまく日本版にして、トリアージナースがトリアージをする。これは保険点数に収載されている。
  それと同じように、救急現場や119番通報でもトリアージをしてもいいのではないかと。東京消防庁では電話相談ということで、119番通報の前に♯7119に電話をかけ、やはり軸としては同じような赤、黄、緑というような感じでトリアージをしている。
  このような形で、救急医療に与かる資源について傾斜配分をすることは少しずつ進められている。これは、一般向けに電子媒体化もされている。これが東京消防庁などで行っているからくり。基本的にはどんなナースでも対応できる仕組みを構築して、もし齟齬(そご)があれば改善する。いわばPDCAサイクルのような形で進めている。
  今は119番通報が来れば救急隊をすぐ出すわけだが、横浜市では緊急性がかなり低いケースでは2人だけで出動するという「ウルトラC」もしている。東京消防庁でも、傷病者が重篤なときにはポンプ車と救急車を一緒に出すようなことをしている。
  いずれにしろ救急隊を出動させるわけだが、いずれ将来は電話が来たときに、赤や黄でなければ、119番から♯7119に電話を回す。♯7119では、トリアージで緊急性が高いと判断されれば119番にもう1度戻す。この段階で「赤だ」「黄色だ」と判断してもいい。そうでなければ、「緊急性は低い」と判断して救急車は出さない。♯7119でいつものように案内をする。だから、119番通報が来ても救急隊を出さない判断をせざるを得ないケースも将来はおそらく出てくるだろう。
  要するに、何でもかんでも救急隊を出すという話ではない。
  上の図は極端な話で、一番ニーズがある所に人員の投資が一番少ない。下の図は一番ニーズが少ない所に人員がたくさん投資されている。中程は、これだけの必要性に対して救急隊がこれだけ必要だというちょうど良い塩梅にある。
  この「ちょうど良い塩梅」は昔からある「足ると知る」という観点で考えれば、別に難しくはないだろうと思われる。
  今までは数の話。次に「質」の話をしたい。東京消防庁は極めて有能なので、夜に救急車が呼ばれると、とにかく急性期病院を探す。板橋区から昭和大学のある品川区まで患者さんを運ぼうと思えば、夜は20~30分あれば十分運べる。そのようにして、お年寄りが病気になると地域社会から出てしまう。遠くの病院に運ばれれば、そのまま遠くの施設に入居することになってしまう。このようなことが少なくない。これはどうなのかという想いはあるが、現実的には急病を機にお年寄りが彷徨ってしまうと、東大の生命倫理の清水哲郎先生が既に何年か前に本に書かれている。
  これを具体的に示したのが東京都医師会の救急委員会だ。高齢者施設からアンケートを取り、概ね3分の1から回答があった。救急車を呼んで急性期病院に行く。そしてその後にそれなりの施設へ行くという話で左が医療圏の中、右が外。
  二次医療圏内の急性期病院に運ばれた高齢者は大体9割が退院後にそのまま二次医療圏にとどまる。いったん二次医療圏から出ると4割以上は戻れない。
  つまり、二次医療圏そのものが生活圏とは言わないが、二次医療圏から出るということは生活圏から出ることを意味する。お年を召した方にとってそれでいいのか。
  ここで「病院救急車を使った」というのは、東京消防庁の車ではなく地域の病院の救急車を使って、救急搬送を地域の中で納めようという取り組み。葛飾区・八王子市・町田市でそれぞれの地区医師会をプラットフォームにして進めている。
  長崎のデータによると、65歳以上の搬送は1位が肺炎、2位が脳梗塞、3位が大腿(だいたい)骨骨折で、これらを合わせると6割以上になる。これらを、とりあえず地域でいったん受け止めて、必要ならその後に昭和大学病院に運べばよいわけだから、そうした仕組みを作るのが筋だろうという話だ。
  この仕組みでは、救急救命士の乗った病院救急車が現場に行くことを想定している。救急救命士は、例えば熱中症による脱水など低血糖の状態について点滴を実施できる。看護師が従来カバーしていた仕事を看護師の代わりに現場でやるということだ。看護師の職能を救命士に移譲するという、特定看護師の役割と似たことがこの仕組みの中で起きている。総力戦をやらなくてはならないというわたしの話の一部分がここで出てくる。救急搬送先が、もともとのコミュニティーに収まっていれば、退院後もコミュニティーに戻れるが、コミュニティーから出てしまうとうまくいかない。そんな高齢者の悲劇をなくすための仕組みをぜひ作らなくてはならない。これは、単に数を克服すればよいという問題ではなく、中身についても改善していかなくてはならない、ということだ。
   このような全体をもう一回俯瞰してみると、ここには従来からの現実的な話、そして社会の変化に応じて身分法が改正され、機能を移譲できるようになった。医師の包括的な指導の下、看護師が特定行為を実施することになったが、そういう意味では、保助看法だけでなくていずれはほかのコメディカルに関する法律もどんどん変わっていくだろうと思われる。
  どういうことかと言うと、わたしたちは患者さんの尊厳を軸に一生懸命に努力する。高齢者に関しては社会的な問題もたくさんあり、医学的にも、先ほど話があったように複数以上の問題を抱えるようになる。だから、高齢者を日常生活に取り戻そうと皆で頑張る。チーム医療には歴史的にそういう意味での必然性がある。
  これは、基本的には患者さんの尊厳に鑑みた倫理的な側面からのチーム医療の強化であり、そうした強化の結果、多くの職種が互いに乗り入れる形でチーム医療を展開できる。先ほどお話ししたように社会が変化しているので、経済的な効率性や社会的な妥当性を勘案して、職種間の相互乗り入れを法的に補完するという意味では、これは社会秩序・法によるチーム医療の強化ということになる。
  だから、倫理的な側面と法的な局面によってわたしたちの国の医療や介護の現場がじわりじわりと変わろうとしている。それは、組織的な医療として総力戦をやっている。今申し上げた職能の移譲ということはすべての職種について文脈としての骨子は一緒だ。
  これは香川県の「オリーブナース」という試みで、特区を作り、ドクターの対面診療なしにオリーブナースが医師に代わって患者を診る。ドクターは電子媒体の画面を見ながら、オリーブナースにいろいろな指示を出して特定行為を実施させる。これを既に実行している。うまくいっているかどうかは別にしても、こういうことをやろうと、現にそのための教育と実践を展開している。
  そういう意味で、医療資源の効率的で公正な分配につなげている。これには後にも触れたい。そのなかで、在宅患者への処置を迅速化する。さらに、意欲ある人たちがやりがいを持てる職場環境をつくる。研修の際に看護師は皆さんの所に行くわけだが、LTAC研究会の事務所がある日本慢性期医療協会も、そういう意味では意欲を持つ看護師たちに仕事を展開してもらおうということで教育のプログラムが進行している。
 わたしたち救急の現場では、オンラインメディカルコントロールという枠組みで、包括的な指示を用いて救急救命士にがんがんやってもらう。先ほど申し上げたように、熱中症の点滴にも対応してもらう。これと全く同じことが、わたしたちから見れば遅ればせながら、看護師にも起こった。
  つまり、具体的な指示でもいいが、包括的な一連の複数の処置を、看護師にもお願いするような形だ。いずれ薬剤師やリハビリスタッフ、栄養士、MSW、介護にも広がるだろう。
  歯科医から歯科衛生士に対しても同じ。歯科衛生士も、歯科医が横にいて指示しなくても口腔の処置ができるようになった。そういう意味ではトレンドはこれからますますそうした方向に向かうだろう。
  先ほどの「MC」という言葉は、ドクターと救急隊の間で使う。しかし、それ以外の人たちにMCと言っても分からないわけで、日本医師会ではMCではなく「医療統括体制」という言葉を使っている。多職種による総力戦に「医療統括体制」の下で取り組もうというターミノロジー(言葉)を使っている。
  これは、池端幸彦先生(日本慢性期医療協会副会長)の論文から引用したもので、昔は「治せ、救え」ばかりだったが、今は「支え、癒す」「病気を抱えて生きる」「最期は看取る」と、メーンテーマが少しずつずれていく。
  これも同じく池端先生の論文から取ったもので、このような循環型の社会システム。先ほどお話しした介護や在宅、慢性期の水平連携が主体で、ある段階では時に急性期病院に運ばれ、垂直連携に移行する。ただ、このような局面でここ急性期病院に行くわけだから、そういう意味では「水平連携に準じた垂直連携」という言い方で正しいだろう。
  おそらくこのような段階で受け止めるのは地域密着型の病院ということになるだろう。地域にはかかりつけ医がいてケアマネージャーがいて、地域包括支援センターが必要だ。ここでは在宅を支援してリハビリを実践し、そして看取りの面倒も見るという話だ。
  看取りに関して言うと、これは私見だが、死亡診断書は医師が書くとしても、場合によっては、看取ることそのものは看護師に主体的・自主的にやっていただいていいのではないかと強く感じる。
  ここで救急医療に戻る。これは、神奈川県と埼玉県で急性期病院を運営する社会医療法人財団石心会の広報誌から持ってきたもの。これを見ると、埼玉県の所沢や入間で、救急搬送をがんがん受け入れている病院と、そうではない病院とがある。川崎でも、がんがんやっている病院と、そうではない病院がある。
 だから、同じ救急病院と言っても「急性期OK」と頑張っている病院と、「ウーム」とためらう病院がある。そういう意味でのすみ分けというべきか、救急搬送をがんがん受けている病院には医師やナースも増やして資源を集中させる。救急医療の分野でも資源の集中と分散が起こっている。
  虫眼鏡でもう少し近くに寄るとどうか。がんがんやっている救急病院はいわゆる「ER型」。先ほど申し上げたトリアージナースや場合によってはERドクターがいて、彼らがERを仕切る。北米型のERと同じ仕組みで、ご自宅に帰る患者さんもいるし、入院する患者さんもいるし、三次救急的にICUに入る患者さんもいる。
  そして、このような病院に入院した患者さんの容態が安定すると、「先程のウーム」という救急病院へ移るのだろう。このような病院では、従前のウォークインへの対応で、外来看護師が患者さんを振り分けて医師に申し送っている。ER型のように丁々発止やり取りしてはいない。
  だから、Bの「ウーム」という病院ではなしに、おそらく垂直連携そのものはこのままAに行くだろう。水平連携に準じた垂直連携の患者さんがAに行けば、おそらくハブ機能のようなイメージで翌朝に、勿論その場からでもいいのだが、Bに運ぶ。
  水平連携そのものは療養施設に行くか、場合によってBがますます療養施設的になればこちらへ運ばれるようになるのではないか。これはある意味、資源を有効に配分することで、夜中に頑張る所と、昼間なら対応できる所、それから昼間でもどちらかというと救急よりは療養的な観点で対応する所、という形ですみ分けが少しずつ進む。
  行政にとやかく言われなくても現場はそのようにじわじわと変化していくだろう。
  河川敷から飛ぶようなヘリは、東京では帝京大学のヘリポートに運ばれることが多い。救急車が患者を運んで来てヘリに乗せ、飛び立つ所。飛び立つ先は、例のトリアージナースやERドクターがいるようなAの救急病院。そこから地域のB病院に朝になったら移すとか、容態が安定したら移すといった形で役割分担が生じて、資源の合理的な分散につながるのだろう。
  救急医療のわたしの経験から見た概ねの考察はこの通りだ。
  今日はLTAC研究会ということで、もう少し大所高所から俯瞰的な話をして、その中の救急医療ということでもう一回話を戻したい。
  これはときどき使うスライドで、「少子・超高齢社会」とある。財政的な問題があるらしいが、医学的なプロセスでわれわれがそれを解決するわけにはいかず、効率的な医療の提供によって協力することはできるだろう。「財政を助ける」と言ってもわれわれができるのはこれくらいしかないだろう。
  まずは啓発・予防によって病気にならないようにする、という話だ。「医学」と言っても、社会医学とか疫学研究とかの話がこの四角の中には混ざっていると思うが、いずれにしても予防と、次に先ほど申し上げた地域の共同体の再構築。だから、患者さんに今必要なことをその地域の中できちっとできるようにする。水平連携はそれをやろうとしているわけで、水平連携に準じた垂直連携も同様だ。
  それから少し耳の痛い話だが、不要な医療、執拗(しつよう)な・いたずらな医療は行わない。これはICUなどでしばしば指摘される。費用対効果を考えようという話だ。そこで、限られた医療資源を有効に活用するという話になると、どう考えても、資源が限られているなら優先度を考えないことはあり得ない。
  救急医療に関しては、先ほど話したようにいずれ119番通報も選別する時代が来るだろう。明らかに軽症なら119番に通報しても救急車は来ない。「わたしは運ばれないのか」という質問がよくあるが、運ぶも何も救急車が来ない。この、運ぶ仕組みを残すには119番通報を選別しなくてはならない。
  救急医療の優先度は、緊急度の問題。赤とか黄色とか緑とか。黄色は緑よりも、赤は黄色よりも優先度が高く、赤が来れば、院内のドクターを無理やり集めることも起こり得る。緑や白なら「2時間ほど待ってほしい」という話をする。つまり資源を傾斜配分する。
  だから資源の配分には優先度がある。医療の倫理を昔と同じようにとやかく言ってもどうにもならないだろう。財政が破綻したら元も子もないので結局、将来に禍根を残さないためにはこの辺のことを考えないと駄目だ。ただ、考えるといっても手練手管を考えるというより、大所高所からどう考えるのかという話だろう。
  先ほどお話ししたことを少し補完していきたい。まずは地域の共同体。医師会をプラットフォームにして病院の救急車が地域の病院に運ぶという話をさきほどしたが、自治体病院協議会会長の邉見公雄先生が日本病院会の雑誌に掲載された「これからの町づくりは医療を中心に!!~土建国家から保健国家へ~」というシンポジウムの記録だ。
  ここに病院がある。この赤は、わたしが知る限り病院と関係するような所で、病院の下にショッピングモールがあったり病院の中にジムやプールがあったりと、このような感じで町づくりに病院が直に関係するケースがあるだろうと。ただ、直接かどうかは分からないが、いずれにしろ病院という医療の部分と学校を含む町の教育、それから雇用―。この3つはいつも考えないといけないだろうという話になる。
 そのため、地域社会のコミュニティーの再構築という話は易しそうで難しい。いずれにしろ、そういう考え方で、あちらこちらで少しずつ議論が進んでいく。
  これは、田辺智子先生が医療の質と費用対効果の調査をまとめたもの。要するに、今のわたしたちの社会では、患者さんが希望するとそれに医師が対応する。そのままどんどん対応し続けることが社会の仕組みとして成り立っているので非常にお金が掛かる。人間ドックに(お金は)掛からないだろうと言われるが、精密検査をして「一般診療に回れ」というケースではやはりお金が掛かる。
  いろいろな意味での標準化はやむなしという状況なので、場合によっては過剰な医療もあるだろう。ここにあるように、過剰な医療の背景として標準化が進んでいないことがある。ばらつきがある結果、いろいろなことが起こっている。だからどこかで過剰な、無駄な医療が行われているということになるではないか。
  これは、産業医科大学の松田晋哉先生らの資料。病床数とICUベッドの相関ということで載っていたが、それとは別に、ICUで、図の上側が無駄な仕事をしている。ICUでの仕事の中身に都道府県によってかなり差があるのではないかということ。
  このSCRというパラメーターが100よりも大きければ、その医療行為を全国平均よりもたくさんやっている、小さければ全国平均よりも少なくやっている。だから、ICUでもたくさんの医療行為をしていると所とそうではない所とがある。本当に最終的な必要度に関してはもっと密に議論しなければならないが、単純にDPCのデータでは、ばらつきがある。だから、「この辺りはやり足りない」ということがあるかもしれないが、「やり過ぎだ」というような指摘も場合によってはあり得るという内容の話だ。
  今申し上げたような、データを転がすことはわたしにはとてもできないので、物の考え方について最後にまとめておきたい。
  これは、先ほども少しお話ししたなぜチーム医療をやるのかという本質的な話。この本質的な話は、その人の尊厳こそが最高原理なので、この原理に従い、どんな場合でもきちっと治療をしよう、どんな場合でもきちっと生活につなげよう、そのために今の医学を利用しようという考えがある。
  だから、それは共通認識として、どんな場合もきちっと医療をやるためだということになる。もう少し分析的に言えば、医学がどんどん発展して、一人一人の医療者の容量を超えている。その上高齢者も増えているので、チームで当たらないとどうにもならない。
  もっと言うと、たくさんの職員が連携して、結果として「良かったね」となったり、「残念だったね」となったりすることで、「情動面における共感」が起こる。この情動面における共感と連携との、行ったり来たりの関係が職務満足度を高める。職務満足度が高まれば、患者の満足度も高まるだろうということで、患者にとってどのようかの部分を説明する。こちらは何かと言うと、いわゆるインフォームドコンセントの理由。それは患者さんにとっての価値、その人の自己決定が最も倫理的だという言い方をバイオエシックスの世界ではしている。
  だから、米国の公民権運動や、ニュルンベルクの人体実験の結果という戦後の社会的なうねりの中で、このバイオエシックスは、個人の自己決定こそ最も倫理的だとしている。患者が「死にたい」と言えば死なせてあげることもその意味では、この個人主義的な生命倫理の考えによれば正しい。死にたい患者さんに注射を打ってあげることが許される社会もある。わたしたちの国はそこまでは行かないが、少なくとも患者さんの考えを聞いて、その患者さんの選択を尊重するので、尊厳を尊重することと患者の選択こそという考えはわたしの頭の中では51対49といった感じだ。
  例えばこれはある雑誌に載っていた話で、第三者を介する生殖補助医療における争点として人の尊厳を最高原理とする倫理から行くと、右側にある考え方。そして、個人の選択を最高原理とする考え方は左側にある。自己決定として「他人の子宮で自分の子どもを産む」「そのように産むことで家族を作る」「皆権利だ」。これらはある意味、患者の自律。右側は患者の自律もあっていいが、その人の尊厳を尊重しよう。
  だから、「神への冒とくだ」とか「優生思想を排除する」だとか、「家族関係の複雑化だとかがあるからやめておいた方がいいのではないか」という話は、図の右側の考え方。こちらの考え方を実践することはある意味で、医療者の自律といえる。医療者が医療者として自律している。そういうふうにわれわれの社会をもう一回見てみるとどうなるか。
  これは、ある所で使ったもの。善行、自律、無危害、公正の4つの要素があるが、今現在はこの自律がメーンテーマ。患者の自律、それから医療者の自律。そして、これから先はどうなるかをお話しする機会があったので作った。
  去年の夏にこの国の医療はこれから先どうなるのかと、話したことを中日新聞が記事にし、その記事をわたしがパワーポイントにした。これからの医療は職能の移譲による総力戦で、限られた医療資源を公正に分配するという正義が根幹だろうということ。一人一人が自分の「今」にとって最適な、適切な医療に満足する。
 市民社会の中で自分は大切にされていると十分に感じられる人間関係の中で、適切な医療に満足する。そういう成熟した地域医療、地域社会の在り方、これが日本の国の形なのだろうと。
  今日はMC、メディカルコントロール体制の強化がテーマだが、公正に資源を配分する正義を軸に考えると、日本語に翻訳すると「医療統括体制」であり、これを強化して「水平連携」にしっかり取り組む。救急医療で言えば「水平連携に準じた垂直連携」を十分に意識しながら地域社会をニューモデルにする必要があるだろう。
  少し気になっているのが、地域包括ケアで「ときどき入院、ほぼ在宅」という言葉。「水平連携」「垂直連携」「ときどき入院、ほぼ在宅」というキーワードの中で、先ほど申し上げた水平連携に準じた垂直連携という話だと、いわゆる地域密着型病院はどうなってしまうのかということ。
  今は、図の中のこのような細長な部分で地域医療を展開していて、急性期病院であっても、先ほどの「ウーム」の病院は右側に行く。こうした病院が皆、急性期の機能を少し残しているから、「夜は駄目でも昼はOK」となる。
  ただし、地域医療構想において将来的にいわゆる地域密着型病院は一体どうなってしまうのか。これは厚生労働省による病床機能の分類。そしてこれは、全国医学部長病院長会議と日本医師会の会議で話し合ったこと。地域医療構想の実現によって将来、この四角に示す「取り組み後」のような病棟に移行する場合、地域密着型病院でカバーしている医療は一体どこでカバーするのかという質問をした。日本医師会の先生は「病棟ごとの組み合わせで対応するので、こういう病棟があったり、場合によってはこういう病棟があってもいいのではないか」という話をされた。「それならそれで、そうだな」という話になり、ここで議論を終わりにした。
  今日のまとめ。まず、地域包括ケアの展開。高齢者の日常的な生活を見るのが「水平連携」。病院医療の必要が生じれば「垂直連携」。今後、救急医療の主体をなす「高齢者の救急医療」は水平連携の一翼を担う垂直連携と表現できる。
  このような救急医療は、地域包括ケアシステムに含まれる救急医療であり、救急隊にとってはMC体制の下とされるが、地域で展開する多職種にとっては、包括的な指示の下での“医療統括体制”と表現される。こちらの方が広い概念。
  そのような救急医療を可能にする地域コミュニティーの再構築が必要だ。その中で機能する”医療統括体制”だ。これまでの論考に鑑みると、いずれも地域医師会のイニシアチブが大きな役割を果たすことになるだろう。
  地域コミュニティーの再構築や、さきほど申し上げた医療を中心とする町づくりは基本的には、医療、教育、雇用の3つがうまく連携しないと成功を望めず結構、難しい。
  4番目。このような中で中核的な役割を担う医師、これはかかりつけ医であり、コンダクターとしての役割を担う。それだけではなく、地域に限りある医療資源の効果的な配分を俯瞰できる。そういう意味での“専門性”を具備しなければならないのではないか。
  総合診療専門医の話ではこれがかなり色濃く出るだろう。救急医学会の「救急科専門医」の上に指導医というのがあり、彼らが何を指導するのかというと、専門医を指導するだけでなく、「地域における救急医療全体を俯瞰しながら、地域医療そのものを指導するのが救急指導医だ」と言われている。そういう意味で、救急科専門医の指導医は地域に限られる医療資源をどう活用するのかを十分に話せるようにならなければならない。
  最後になるが、「ときどき入院」と言ってはいるがそうなったとき、いわゆる地域密着型の中小病院の存在は極めて大きい。地域医療構想の実現による医療供給体制の改革の中で、こうした病院がどう位置づけられるかは今後、真摯(しんし)に議論する必要があるだろう。
  そのため、LTACの病床にしろ、地域包括ケア病床にしろ、日本医師会の先生は「病棟ごとの組み合わせで対応できる」と言うが、これから先の状況を考える中で最終的には経営基盤、つまり社会の仕組みとして経営基盤がきちっとしないと、このイメージは絵に描いた餅になる。だからわたしたちがやらなくてはならないことはきっとたくさんあるだろう。
  大会長講演ということで少し荷が重かったが、日本医師会の中で議論してきたことを今日のメーンテーマにうまくシンクロさせながら話をさせてもらった。
  ご静聴頂いたことに厚く感謝するところである。

〇小山:有賀先生ありがとうございます。地域包括ケアシステムと救急医療の在り方ということで、メディカルコントロール、医療統制の中で今、救急医療がどのように行われているのかをお話しいただきました。
  今の救急の現状ですでに50%近く、あるいはそれ以上の率で65歳以上の方が救急車の利用を占めている。そのためトリアージが重要で、中身を見ると、二次医療圏内で処理しているなら問題ないが、それを超えてしまうとなかなか安住の地は得にくいという話だったと思います。
  そのため、チーム医療の展開や医療資源の配分が非常に重要で、そうなるとやはり、優先度を付けなくてはならない。その場合は、個人の決定権を大事にしながらやっていくというようなお話だと思います。
  時間が少しあるので、何かご質問があればお受けします。

〇質問:中小病院は非常に大切だという話だった。わたしどもの病院も中小病院で、専門志向で神経系疾患の整形を主体にカバーしている。わたしは岡山から来たが、岡山にも急性期病院が非常に多く大学は2つある。その中で、本当に重症な人はどうしても大学病院へ行ってしまう。わたしたちのように救急をやっている中小病院は素通りしていく可能性が非常に高い。
  だから、まず専門性を維持しながらシステムの中に入り込んでいかなければならないとは思うが、なかなか難しい。ドクターの確保も中小病院では非常に難しいという現実がある。
  先生がおっしゃるように、地域包括ケアシステムの中での中小病院の役割は非常に大切だとわたしも思うが、病院の立ち位置によっていろいろ違う。その辺りをなかなか明確にお答えいただくのは難しいとは思うが、日本の病院の大体70%が中小病院だと言われている。そういう病院がどのような役割を担うべきかをお答えいただければありがたい。

〇有賀:皆さん理解されていると思うが、地域包括ケアシステムの具体的な展開の景色そのものにも地域によって差があると言われているので、今はいわば総論的な話を申し上げた。それ以上のことを話すのは難しいが、少なくとも中小病院のイメージは、その町のお祭りで一緒に神輿を担ぐような病院長がいる。例えば昭和大学病院では、理事長がときどき担ぎに行っている。そういう地域社会の在り方が中小病院の役割という感じだ。
  昭和大学病院からすると、重症患者が運び込まれるのは、とりあえずはしようがないだろうが、そうではなく自宅に帰れる人からは選定療養費を取る。都内では最も早い時期だったと思う。このようなカードを切っていくことは、経営上は意味があるにしろそれ以上に、働いている人たちのアメニティーや超過勤務の時間などいろいろなことを考えた場合、業務量をコントロールしなければならない。そこで、地域の医師会や消防の方たちにあまり相談はせずに選定療養費をとると言って、開始した後に説明にいった。いろんな意見があるといやだったので。
  そのため、大学病院などが重症患者を受けていいが、先ほど申し上げたハブ機能的なイメージで、自分たちの仕事がいったん終わればすぐに地域に患者をお返しする。救急外来で直接患者さんを診て、1割弱はそのまま地域の病院に転送して入院してもらうように昭和大学の救命センターでは対応していた。
  大病院には大病院なりの地域社会における役割があるはずなので、それはそれでカバーすべきだが、地域の患者さんを掻き集めるかのごとき、スーパーマーケットのような商売をやるようなことをしてはいけないとわたしは思う。それをすると、地域の中小病院が経営できなくなる。
  もちろん、例えば戸田中央医科グループなどには急性期病院も慢性期病院もある。どこかでうまくやって、全体の連結決算としてうまく行けばいいのかもしれないが、いずれにしろ、中小病院が潰れないような形で地域社会をどう維持するかを考えるべきだろう。そこはやはり、地域の中で十二分に議論していただかなければならないと思う。

(了)

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